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十通の手紙 7 [ゴールデンブログアワードノベル]


第2章 <10>

「お前が放っておいたのが悪いんだよ。」
 佐伯は僕が呼び出した喫茶店で席に座るやいなや言う。
「自分なら、当分放っておいても女は離れていきやしない、とでも思っていたんだろ。」
 畳み掛けるような、挑むような佐伯の言葉に僕は黙っていた。
「理沙に何をしたんだ。」僕は単刀直入に言った。
「別に。普通の男と女が付き合い始めるように、誘って、飲ませて、キスしただけだよ。今はまだそこ
まで。彼女は堅いからな。まあ、お前にできないくらい俺が大切にしてやるよ。」

 僕は、今まで余り人に怒ったりすることはない人間だった。でも、そのときばかりは人目も
はばからず、大声を出した。
「理沙は未成年だぞ。飲ませて、だましたのか!どうせ誘ったのだって何かだますようなことを言っ
たんだろう。理沙は、理沙はお前みたいな薄汚い手を使うようなヤツと付き合うような人間じゃない。
彼女にもうこれ以上、手を出すな!」
 佐伯は僕の大声にびくともせず、余裕のある顔つきで言った。
「すべて彼女が選ぶ事だろう。お前は目の前に居たお姫様をもう自分のものにしたつもりでいたろう
が、彼女のことをどうやって幸せにしてやろうかなんて考えたことも無いだろう。自分のことばっかり
だからな。彼女に何か約束をしてやったのか?約束なんてお前はできないな。約束って言うのは、
自分を犠牲にしてでも、他人を守るってことだ。お前にとって、一番大切なのは理沙ちゃんじゃない
だろう。お前自身なんだよ!」
 それだけ言うと、佐伯は自分の飲み物の分の小銭を机にたたきつけ、喫茶店を出て行った。

 何で理沙が佐伯と二人で会ったのか?何故佐伯の誘いに出かけていったのか?
 その疑問はまだ残されたままだった。

 しかし、佐伯と理沙がどんな成り行きでそうなってしまったにせよ、彼らが今の僕と理沙以上の
関係を持ったことについて当時の僕は許せなかった。許せない、というよりも、もう理沙がまるで
佐伯のものになってしまったような気がした、というほうが近いかもしれない。
 今考えれば、なんてばかなことを考えていたんだか、と思う。でも、それは時が経ち、少しは大人
になったからそう考えられるようになったというだけで、その時は白か、黒か、そんな気持ちだった。

 僕は、理沙に対する気持ちが揺らいでいる自分がいることに気づいていた。
 今までの一片の雲さえない澄んだ青空のような理沙への気持ちに、佐伯という二度と消えない影
が落ちていた。 
 でも、理沙と会わなければいけない。

 本当なら夏休みに入り、理沙とどこかへドライブにでも行ったら楽しいはずの、素敵な季節だった。
でも、僕らはいつも会っていた新宿の喫茶店で静かに向かい合って座っていた。

「手紙読んだよ。佐伯とも会った。でも、君から直接聞きたいんだ。」
 理沙はずっと下を向いていた。
「私が悪かったの。佐伯さんがあなたのことで相談があるって言ってきて、あなたに相談せず二人
だけで会った私がいけなかった。」
 やはり、佐伯は理沙をだまして呼び出したのだ。
 いつかの晩、夜遅く理沙からかかってきた電話を僕は思い出していた。
「あいつの言ったことは本当なのか。」
 そう僕が言ったときの、理沙の悲しそうな目を今でも覚えている。今なら、その目を見ただけで
何があったのか、何をいいたいのか、わかる僕かもしれない。でも、その時の僕ははっきりと理沙の
口から聞かずにはいられなかった。
「もし、そうだとしたら、あなたは・・・?」
 理沙の声は涙で途絶えた。

 僕は、しばらく理沙の涙が止まらない瞳を見つめ、やがて一人黙って店を出た。
 それが、学生時代の理沙を見た最後になった。

<11>

 その後、僕は人が変わったように人付き合いが良くなり、何人もの女の子と付き合い、そのうちの
何人かとは深い仲にもなった。
 けれど、どうしても心から大切にしたいと思う女の子は現れず、まるで季節が変わるように、相手も
変わっていた。別れることで騒ぐような女の子はあえて避けていたのかもしれない。特にトラブルは
なかった。

 翌年の元旦、めずらしく家にいて、ポストに年賀状を取りに行った。うちは父が小さいながら会社を
経営していることもあり、年賀状の数は半端ではない。
 分厚い年賀状の束の中で、すこし違う大きさのものがあることに気づいた。それは封書だった。
 見慣れた文字。
 理沙からの手紙だった。

 その手紙だけを持って二階の自分の部屋に上がり、少し急いた気持ちになりながら封を開けた。

  明けましておめでとうございます。
  新しい年が、何かを変えてくれることを私は祈っています。
  私は今、一人ぼっちです。
  私の心の中には、あなただけが住んでいます。
  迷惑だということもわかった上でお願いがあります。

  もし、これから十年間、あなたを思い続けることができたら、
  そして、その時、あなたが私のことを嫌いでなかったら、
  十年後、もう一度会ってもらえませんか?
  私の、一生のお願いです。
                                理沙

 しばらく、僕は自分の部屋のどこでもない宙を見つめた。何か歯車が狂っている。それはわかる。
でももう、どうにもそれを正しい位置に戻すことはできない。そんな気持ちだった。

 白い便箋に書かれた言葉は、一言ひとことが理沙らしい、と思った。
 十年後。僕は十年の先を見やろうとした。何一つ見えない。何故理沙は十年後と決めたのか。僕にはわからなかった。
 実はもう、理沙と佐伯が付き合っていないことは友人から聞いて知っていた。佐伯は本気だったの
だが、理沙が毅然と拒絶したのだ。

 既に僕に理沙を責める気持ちなど無かった。
 そもそも、理沙を責める気持ちなど無かったのかもしれない。理沙が僕を裏切るようなことをする
人間ではないということを一番わかっていたのは誰でもない、この僕だったのだから。

 本当は、すぐにでも理沙に会って、抱きしめたかった。
 でも、あの純粋な理沙を抱きしめるには、もう僕の手は不似合いなような気がした。
 僕は、特に好きでもない何人かの女の子たちと既に気楽な付き合いを繰り返していたのだ。

 そう、もう歯車は二度と元にはもどらない。時間ももどらない。僕にはその歯車を正しい噛み合わ
せに戻すような力はない。僕はそういう人間だった。自分の力で何かが変えられるなんて大それた
ことは考えない。水は高いところから低いところへ流れ、二度とはもどらない。
 二度と、もどらない。

 理沙とはそれっきり会っていない。連絡もとっていない。
 その後、毎年理沙から元旦に来る少し風変わりな年賀状を除いては。

 その年賀状とも言えない、まるで普通の手紙のような封書たちには、いつも僕の健康や活躍を
祈っている、ということだけがさらりと書かれていて、理沙の近況などは一切書いていなかった。
僕は引け目があったことと、正直なところ何を書いていいかわからず、一度も返事を書かなかった。

 そして、長い長い年月が僕らの心と体の距離を隔絶していった。(続)


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