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十通の手紙 9 [ゴールデンブログアワードノベル]


第3章 <3>

 理沙の家は、このまま西に向かえば一時間もしないで着くはずだ。正月の夜中で道は空いて
いた。父が酒に弱くなったおかげで、ほとんど飲んでいなかったのはラッキーだった。

 車を運転しながら、いろいろなことを思い出していた。
 初めて理沙を愛しいと思った渋谷の山手線のホーム。新宿で待ち合わせた高校生時代の理沙。
僕のために理沙がもらってきてくれたお守りを胸のポケットに入れて受験した冬。合格の知らせの
電話にうれし泣きしていた理沙の声。数学の問題を考えているときの理沙の真剣な顔。いつも待ち
合わせた新宿の喫茶店で僕を待つ間に本を読んでいた理沙の姿・・・。
 そして、その中でも生々しく思い出したのは、初めて車の免許を取って、理沙を駅まで迎えに行っ
たことだった。ああ、あのときはナビもなくて、地図を見ながらすごく苦労してたどり着いたんだっけ。
でも、あの理沙の驚いた顔はうれしかった。僕は理沙を思いっきり喜ばせたかったんだ。

 初めて横浜に行った時はとんでもないところに迷い込んで、大変なことになったっけ。せっかく理沙
にカッコいいところを見せようと思っていたのに、本当にまいった。大汗かいてなんとか横浜にたどり
着いたのに、予定していた店も見つからなくて・・・。

 なんであの時、理沙にキスさえしなかったんだろう。確かに理沙が嫌がることをするつもりは
無かっただろうけれど、多分、理沙は拒まなかったと思う。公園でも、帰りの車の中でも、いくらでも
チャンスはあったはずなのに。

 キスじゃなくてもいい、「君が好きだ」ということが伝えられれば、それでよかったのだ。

 車は空いた道をひたすら西へ走った。もうすぐ理沙の住む家の近くになるはずだ。理沙の家は、
近くまではあの最初で最後のドライブで行ったものの、その場所そのものは見ていない。理沙の
家の人にわからないよう、駅で待ち合わせ、帰りも少し離れたところで別れたのだ。封筒の差し
出し人のところに書かれた住所とナビを見比べながら探す。やがて、その地番らしき場所に出た。
しかし―。

 僕は、何度もナビと封筒の住所を見比べ、言葉を無くした。

 その場所は更地にされ、何一つ残されていなかった。
 まるで、理沙という女性自体がこの世の中に、そもそも居なかったかのように・・・。

 この時間では近所の家に理沙の一家がどこに引っ越したのか聞くこともできない。
 僕は、上着を着ることも忘れて車の外に立ち尽くした。

 僕の隣で妻の真っ赤なアウディのアイドリングだけが真夜中の住宅地に響いていた。

<4>

 翌日、真理子から「もう一晩こっちに泊まって、明日ママと買い物にいくから車だけ持ってきて」と
僕の実家に電話が来た。要は、僕は電車で帰れ、ということなのだ。こんなことを母に聞かれたら
大変なことになる。
 僕は4日には宿直の当番があるから明日一日はゆっくりしたかった。あるいは、一人で家にいる
ほうがゆっくりとできるかもしれない。それに、昨晩のことがあって、気持ちがかなり高ぶっていた。
そんなときに真理子と二人でいるのはできれば避けたかった。

 両親には今日真理子と一緒に自宅に帰ると話して、実家を出た。
 いつまでも見送る両親がなんだか小さく見えて、心が痛んだ。そろそろ、東京の病院に換わりたい
と思っていた。それは真理子も強く望んでいたことだ。僕は、年をとった両親が心配だったからだ
が、妻はとにかく東京以外、しかも大都市以外のところに住んでいるのが耐えられないらしい。
 もし東京に戻るようなことになれば、妻は自分の実家を2世帯住宅にして住もうと、僕以外の
世田谷のメンバーで話していることも知っている。

 真理子は確かに悪い女ではない。しつこくないし、さっぱりしていて、僕には向いている女だと
思う。でも、昨日理沙からの手紙を読み、いろいろなことを考えた昨晩の出来事があってから、
僕の心には「これで良かったのか?」という思いがもやのように広がり、消えなかった。

 そう、僕は真理子を愛してはいないのだろう。
 そもそも愛ってなんだ?僕は、真理子とうまくやっていると思う。人が見たり聞いたりしたらひどい
と思うような真理子の言動も、別に僕にとっては侮辱でもなんでもない。僕は真理子に自由を与え、
真理子は僕に条件付きの自由を与えている。その条件とは、真理子のライフスタイルをできる限り
邪魔せず、必要に応じてフォローする、というものだった。
 僕らの結婚は、愛では結ばれていない。お互いの自由を確保するための契約とでも言えようか。
結婚しているという社会的なステイタスのカードを手に入れるために、暗黙の契約を交わしていると
も言える。

 ある年齢になると親や周りがわあわあ言って結婚を勧める。そのままそれを押し切れば、「あの人
はなんで結婚しないんだろう」とささやかれ始め、最後は「きっと何かあるに違いない」とまで言われ
てしまう。それが今の日本の社会だ。僕と真理子は絶妙のタイミングでそれらのうるさい外野を
シャットアウトできる絶対の手段をとることができたのだ。

 そういう意味で、真理子と僕は同類なのかもしれない。多分、真理子も僕を愛してはいない。僕と
いうまさに限られた契約におけるパートナーを得て、自分の世界で一人自由に泳いでいるのだ。

 車を世田谷の真利子の実家に乗り付けると、真理子と義母はそのままアウディで日本橋の
デパートに行くという。僕は日本橋まで彼女達を送り、そこから一人になった。

 茨城の自宅に帰るため地下鉄やJRを乗り継ぎながら、ふと考えて第三の男である友人に携帯で
電話をかけた。もし、都合がつけば呼び出して、久々に旧交を温めるふりをして理沙のことを聞き出
そうと思ったのだ。今の僕は、なんとかして理沙に一度会わなければ、という妄想のような強い思い
にとらわれていた。
 つながった電話の向こうでは、家族のにぎやかな声がいくつも聞こえてきた。できちゃった結婚
だった彼らの家にはどちらかの両親でも来ているのだろう、大人たちに囲まれ、はしゃぐ子供の声が
聞こえる。そこには、僕達の年齢ならばごく自然な、一般的な正月の光景が想像された。
 もう、その時点で僕は彼が出て来るのは無理だと諦めた。単に、正月の挨拶のような風を装い、
最後にさりげなく理沙の住所を知っているか聞いてみた。
 彼は大きな声で理沙の友人だった妻に尋ねていたが、返ってきた返事は「年賀状が戻ってきた」
という言葉だった。転送の手続きさえとっていないのか・・・。

 もう、理沙につながる線は消えてしまった。

 佐伯に連絡をしてみることも頭をかすめたが、もし、それで理沙の居場所がわかったら、それは
それで気に入らなかった。多分、そうなったら僕はもう理沙には連絡をしないだろう。

 僕は、常磐線の発車を待ちながら、こんな気持ちになった自分を不思議に思った。物事や人に
淡白でこだわりの少ない自分。結婚でさえ、周りが納得して自分のライフスタイルへの影響が最小
限であれば人の勧めるままに決めてしまった自分。こだわったのは、職業くらいのものだ。それだっ
て、人命を救いたいという気持ちよりも、父の会社を継ぎたくなかったという排他的な理由のほうが
強かったかもしれない。
 
 ただ一つ、理沙に関してのみ、僕は別人のように「生きて」いた。
 それに気が付くのに十年遅かったのだ。(続)


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武田のおじさん

ドッカ~~~~~ン。
なななんと、理沙さんは何処へ!!胸を締め付けられるような思いでやっと辿り着いたら更地だったなんて・・・・。ショック~~~ッ!!!ガ~~~~ン!!
最後の望みの綱も途切れてしまった・・・。(泣)
理沙さんと一緒の時だけ、自分の人生が輝いていた。生きていると実感できた。「理沙さんを愛している」
やっと、その事に気づき始めた。
ひや~~~っ これからどうなるの~~~~っ!!
ハラハラ・ドキドキ!!
by 武田のおじさん (2006-01-27 09:46) 

ニライカナイ店主

武田さんへ>
ナイスとコメント、いつもありがとうございます。
さて、これからどうしましょうか(笑)。
最終章をお読みになったら武田さんはどう感じられるかを心の支えにして、
最後まで走りぬけたいと思います。
by ニライカナイ店主 (2006-01-27 17:58) 

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