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十通の手紙 11 [ゴールデンブログアワードノベル]


第4章 <2>

 年賀状という形で彼に毎年手紙を書いてきた。いつか、彼よりもずっと好きな人が現れて、そんな
手紙を書くこともいつか終わるかもしれないと思っていた。彼を思い続けたい、という気持ちの反面、
早く彼を諦めなければ、という冷静な私もいた。

 あの頃の私は佐伯さんにキスをされたことで、彼に申し訳がなく、もうまっすぐに彼の目を見られ
ないような気がした。その頃感じ始めていた「自分が彼にとって大切な存在ではないのかもしれな
い」という不安は更に大きく膨らみ、その気持ちが彼から私を自ら遠ざけていった。
 もし、佐伯さんとのことを知った彼がそれでもいい、と抱きしめてくれていたら、きっといろんなこと
が変わったのだと思う。でも、そうはならなかった。
 私は「もうだめかもしれない」とその時感じた。哀しいことだけれど、私の予感はよく当たるのだ。

 ただ、私の心の中には、彼以上のものはその時に何もなかった。だから、「賭け」をしてみたのだ。
十年間の賭けを。
 本当に私が彼のことを真剣に愛しているのだとしたら、十年たってもきっと同じ気持ちでいられる
だろう、と。もし、そのときに自分の気持ちが変わっていなかったら、そして、彼が私と再会できる
状況だったら・・・もう一度、一緒に歩き始めることができるかもしれない・・・と。
 もし彼が少しでも私を思ってくれていたのだとしたら、その奇跡も起こりえるかもしれない、と。

 十年目、そして十通目の手紙を出し終わったときにその賭けは終わった。
 その賭けに負けたのは誰?勝ったのは誰?

 わかったのは、恋の賭けに勝ち負けなどないということだった。

 十年たっても私は私だった。彼のことは好き。一番好き。でも、もう元のようには戻れないことも
一番よくわかっている。第一、彼は既婚者だ。
 これからはその思いから背を向けず、正面から抱きしめて生きていくしかない。たとえ私が誰かを
本当に好きになって結婚したとしても、彼を好きだったことは私の心の引き出しからは消えていかな
い。私は、そんな私自身を引き受けて、歩き続けていくことを覚悟しなければならない。

 一度覚悟してしまうと、なんとなくすっきりした気持ちになった。
 十年間、確かに苦しかった。でも、その日々の中で、私という人間はこんな人間なのか、と寂しくも
あり、哀しくもあり、あきれてしまう気持ちもあり・・・とにかく、自分という人間との付き合い方にも
慣れてきたような感触もあるのだ。
 十年前、彼と付き合っていた頃の私は、人を好きになるという素敵なことを知ることはできた
けれど、自分自身のことよりも彼を知ることに一途になってしまった。この苦しかった十年は本当の
意味で一人ぼっちだったからこそ、私は私自身と向き合うしかなかった。でも、そのことは今の私に
とっては決してマイナスにはなっていない・・・と信じている。信じたい。

 小さな台所から、ケトルが私を呼ぶ音がした。最近凝り始めたコーヒーを入れるために、ペーパー
ドリップの準備を始めた。

<3>

 春が過ぎ、会社の定期健診をしたことなどすっかり忘れた頃、社員の健康管理をしている保健師
さんから連絡が来た。しばらくぶりに社屋の端っこにある健康管理室のドアをたたくと、中から「どう
ぞ」という声がした。
 要は、コレステロール値が正常値より低いのと、問診で微熱が続く、というコメントを見て再検査を
してほしいとのことだった。
「ただの風邪が長引いているのだと思うんですけれど・・・。」と言い訳したものの、「もうそろそろ体を
いたわったほうがいいお年になってきましたよ!それに、残業時間、多すぎですよ。働きすぎ!」と
年配の保健師さんにぴしゃりと言われてしまった。
 
 会社の指定の病院でもいいのだが、どうしても診察時間が会わなかったので、自宅の近くの行き
つけの診療所で土曜日に血液検査等をしてもらった。会社指定病院なら、勤務中に行ってもかまわ
ないのだが、その時、私は大きな企画を任せられていて、その時間さえ惜しかったのだ。

 翌週の火曜日、疲れきった足を引きずりながらコンビニのお弁当をぶら下げ、書類の入った重い
カバンを肩にかけた情けない私が部屋にたどり着くと、電話の留守番ボタンが点滅していた。再生
してみると、検査をした診療所からで、検査結果の件で、できるだけ早く来てほしい、ということ
だった。嫌な電話だ。何か良くない結果が出たのだろう。明日は午前中会議がある。夕方早引き
させてもらうことは出来るだろうか、と重い足を引きずって、お風呂のお湯を入れ始めた。

 翌日、終了時間ぎりぎりに診療所に飛び込むと、やはり悪い話だった。甲状腺のホルモンが異常
値を示していて、内分泌科のある病院にすぐ行ってほしいということだった。そういえば、最近疲れ
がとれなかった。食べてもかなり体重が減った。微熱も出る。
 紹介状をもらって、重い気分で診療所を出た。

 翌朝、紹介された大きな病院に行って見ると、受付開始前に行ったにも関わらず、ものすごい混み
方だった。紹介状があっても、順番は待たなければならない。
 受付を済ませてから、病院の外に出て会社に電話を入れた。本当は午後には出勤するつもりだっ
たけれど、混んでいて多分無理だと思います、と上司に伝え、一日休ませてもらうことになった。
上司は、感情のないロボットのような声で「はいはい、おだいじに」とだけ言って、ガシャンと電話を
切った。

 待っても待っても名前は呼ばれなかった。病院に来るとかえって調子が悪くなるっていうけれど、
そう言われるのもよくわかる。
 そして、病院に来ると、どうしても両親のことを思い出してしまう。この病院ではなかったけれど、
何度も病室に通ったことをふと思い出し、春も盛りなのに寒々しい気持ちになった。

 持ってきた仕事の資料も大概読み終え、半ば眠りかけていた時、やっと名前が呼ばれ、診察室の
前に入るように言われた。その大病院は、内科だけでも病気ごとにいくつかに部屋に分かれて
いて、更にその部屋の中も、複数の診察ブースで仕切られていた。
 私は看護士に言われた番号の診察室のカーテン前の待機席でまたしばらく待たされた。

 私の名前が呼ばれた。白いカーテンを開けたその時、私は凍りついた。(続)


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武田のおじさん

うお~~~っ。もしかして~もしかして~♪
だけど、理沙さんの心情を考えると、手放しには喜べそうもない。ちょっと、複雑な気分ですね~。それに、真理子さんとの関係も気になるところ。
正直、不倫は嫌いだし、出来ればハッピーエンドが見たいところですが、世の中、多種多様で複雑ですから・・・・。
それに、理沙さんの病気も気になるし・・・。甲状腺ホルモン異常。よく聞く症状だ。なんだったか今思い出せない。調べてからコメントすべきでした。
これによって、先の推測もしやすいところでしたが・・・。
by 武田のおじさん (2006-01-28 22:26) 

ニライカナイ店主

武田さんへ>
いつも読んでくださってありがとうございます。
ナイスも感謝です。
二人の十年後をもう少し見守ってくださいね!
by ニライカナイ店主 (2006-01-28 23:50) 

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