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今も残る大切な形の無きもの「愛と死をみつめて ある純愛の記録」 [思いきり泣きたいときに]


「愛と死をみつめて ある純愛の記録」
大島みち子・河野実共著 1979年初版 大和出版 (1963年大和書房初版)

今度TVでドラマ化されるのが確かにきっかけではあった。
しかし、その前に私の中にずっと「この本を読んでみたい」という気持ちはあったのだ。
それは、このドラマを見たことがあり、テーマソングまで歌えるから。
それがなぜなのか、ずっとわからなかった。

今回、この本を読んだことによって、年代的に私がこの作品がTVドラマ化されたものを
見ていたというのはかなり無理な話であることがわかった。
この作品は、1963年に刊行され、大ベストセラーになったという。
その翌年、テレビドラマ化。それも大変人気になり、その年内に3回も再放送されている。
さらに、同年秋には吉永小百合主演で映画化もされている。
おかしい、見られるはずが無い。

実家の母に確認すると、確かに一緒に白黒のテレビで見て、私はテーマソングを覚えてしまった
ので驚いた、と話をしていた。さらに、母の実家である中野の近くにこの著者の一人、
河野氏が住んでいたらしく、当時大変話題になったことも知った。

論理的に考えると、さらに数年後に再度ドラマ化されたか、再放送されたものをテレビで見ていた
のだとしか考えられない。
しかし、その時3歳下の弟はまだ居なかった。記憶とは恐ろしいものである。

私の映像での記憶は、テーマソングとともに、若い女性が白い病室のベッドから身を起こし、
学生らしき男性と楽しそうに話すシーン、時にその学生が女性を励ますシーンとして
心の中に残っていた。

私は自分の記憶を確かめるためにも、原作を読んでみることにした。

                   ************

あらすじはこうだ。
昭和35年、耳を手術するために信州から大阪大学付属病院に一時入院していた浪人生
(これが河野実氏=まこ)が病院で一人の少女と出会う。
それが「軟骨肉腫」という当時不治といわれていた病が左顔に発症してしまった
大島みち子(みこ)だった。まこの退院をきっかけに、二人は文通をはじめる。

その後、まこは中央大学に入学、東京で寮生活を初め、みこは一時体調が好転したため、
高校にもどり、同志社大学に入学する。
しかし、みこは再度病の悪化のため、阪大病院に再入院することになる。

この本に収録されている二人の書簡は、この再入院中に大学2年生になっていたまこが
大阪にアルバイトに行き、みこに再会し、二人で数日を過ごした時期から始まる。

この本を読んで、最初の3分の1は涙し、中間の3分の1は困惑し、最後の3分の1は
二人の姿を静かに見守るしかなかった。

もう、助からないということがわかっていても、愛を知って生に望みをつなぐ女性。
さらに、彼女は顔の半分を切り取らねばならない、という悲劇を襲う。
それでも生きたい、と決心する。その決心をさせたのはその愛する人だった。

しかし、好転しない病状の中で、病と闘うものも、それを支えるものも、ゆれ続ける。
もう死んでしまうのうか。いや、絶対に生きるんだ。
その言葉が繰り返し振り子のようにゆれる。

書簡だけを読んでいると、病人のみこよりも、何もできないまこの方が苦しんでいることがわかる。
自暴自棄になっている。
しかし、女性は手紙のほかに日記を書いており、そこには苦しい思いがあからさまに
書かれていたことをあとからまこは知るのである。

相手が死ぬことがわかっていて、どこまで愛し続けることができるのか。
彼は愛することに希望を持ちながら、同時に愛するものを失う現実を目の前にして、
自分を支えきれなかったのかもしれない。その苦しみはいかほどだったのだろう。
しかも、今のように時間的、金銭的にすぐに行き来できない東京と大阪にわかれて。

一方、女性のほうは、死ぬことがわかっている。
わかっていて、自分のために愛している人がだめになっていくことを手紙で知ることになる。
なんども別れようとする。でも、できない。
その支えがなければ自分自身の希望がすべて消えてしまうことがわかっていたからだ。

手紙は3年と1ヶ月、およそ400通が二人の時間をつむいだ。
しかし、実際に会えたのはほんの数十日間だった。

本当に読んでいて苦しい本だった。
しかし、その中にも、ふたりが苦しみながら生きようとしていること、
互いを愛していることをなんとか伝えようとしている姿が浮かぶ。
死が近づくほどに、それは混乱し、暴走し、しかし、最後は静かに確かなものになってくる。
それは、言葉には表しきれないものである。しかし、文字という形はとらずとも、
読んだものの心の中に静かに沈んでいく。

ふたりの愛は、今でも多くの人に生きること、人を愛すること、そしてその苦しみと喜びを
伝えてくれるのだと思う。

私がいつどうしてこのドラマを見られたのか・・・という謎は解けないままだ。

この本の後のできごとについてはまた別の本が出版されている。
折をみて、その本にも触れたいと思う。

<Amazon.co.jp へのリンク>
※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

愛と死をみつめて―ある純愛の記録

愛と死をみつめて―ある純愛の記録

  • 作者: 大島 みち子, 河野 実
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2004/12
  • メディア: 単行本


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コメント 4

武田のおじさん

ディープですね~。生と死、残される者と逝く者。今でも実際に起こっている内容ですよね。わたしも何時か妻より先か後か分かりませんが、いずれ最愛の人と別れなくてはならない事を思えば恋人と夫婦の違いや、環境や立場ははまるっきり異なるけど、その揺れる思いはいかばかりだと考えずにはおれません。
父が入院していた隣の病室で若いご主人が亡くなった。子供はまだ小学1年生位でしょうか、奥さんもとても若かった。
ベッドの横で泣き崩れていたのを今も覚えています。
父が死んだ時も何故だか無性に涙が出て止まらなかった。
父がいきていたら70歳くらいだろうか・・・。もうあれから20年になります。
by 武田のおじさん (2006-03-08 18:07) 

ニライカナイ店主

武田さんへ>
ナイスとご来店、毎度ありがとうございます。
今回、この作品をちゃんと読んでみて、最初は泣けたのですが最後はもっと深いところまで行ってしまいました。その奥さんも、涙が枯れた後にきっと本当の辛さが訪れたのだと思います。この本を読んで、生きているということの意味をもっと多くの人に考えてもらえれば、と感じています。
武田さんも早くにお父様をなくされて、きっとご苦労されたのでしょうね。
私も両親は健在ですが、大変かわいがってくれた祖父母を亡くしたときには、どう恩を返したらいいのかわからず、それまでもっと会いに行かなかった自分を責めました。でも、今はなんだか自分の背中を遠くから二人が見守ってくれているような気がするのです。そういう気持ちになるまで、時間がかかりました。私がこのドラマを覚えていたのも、きっと子供心に主人公二人の真剣な気持ちを受け止めていたからなのでしょう。そして今、ここで皆さんに紹介するきっかけになり、本当によかったと思っています。
by ニライカナイ店主 (2006-03-08 19:23) 

YumYum

たしか、大空真弓がミコで東芝日曜劇場で放送だったと記憶していますが、
なぜだか、ストーリーをほとんど覚えていません。
眼帯をした映像だけが強く頭にこびりついています。
ただ『マコ、あまえてばかりでごめんね、ミコはとってもしあわせなの』という
曲と歌詞だけは強烈に覚ています。
子供ながらに、心を揺すぶられる感じがして逃げたような気がします。
それゆえ最後まで見なかったのかもしれません。
by YumYum (2006-03-10 23:57) 

ニライカナイ店主

YumYumさんへ>
ナイス&ご来店ありがとうございます。
そうですね、相手は山本学ですよね。私、話もかなり覚えているんですが、
時期的にありえないんですよ・・悩んでます。もしかして、ちょっとお姉さんですか?
この本自体は、書いたように、涙が止まらなかったのは最初だけで、あとはもっと深いところに心が行ったような気がします。この年齢になったから受け止められたのかもしれません。きっと、もっと若いときに読んでいたら、ずっと涙が止まらなかったかも、と思っています。
今度またテレビでやるんですよね。あの二人でどうなんだろうか。でも見てしまいそうです。
by ニライカナイ店主 (2006-03-11 21:38) 

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