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ジャーナリズムの真髄を見る「黒田清 記者魂は死なず」 [仕事に悩み考えているときに]


「黒田清 記者魂は死なず」有須和也 河出書房新社 2005年初版

私が黒田清氏と出会ったのは・・・と行っても一方的な私からの出会いだが、
テレビ朝日の朝の番組、やじうまワイドのコメンテーターの黒田さんと、であった。

大阪弁で、ぽつりぽつりと話すその言葉は、いつも時間がもっとあったら、その先が、
もっと大切なことが聞けるであろうに、というところで切り替えられてしまうのだった。

その黒田氏が、テレビを見ていても明らかに痩せていく。
これはきっと思い病なのだろう、と心配している中、2000年7月、天に召されていった。

この本を読むまで、私は黒田さんの経歴をほとんど知らなかった。
どこかの新聞社の記者であったことは知っていたが、それ以上は知らなかった。

黒田氏が、大阪の読売支社・・・というよりも、大阪読売ともいうべき新聞社で
どんな記事を、活動をしていたかが、この作品には克明に描かれている。

地を這う現場取材、人の気持ちに寄り添う、一人を大切にする、
読者=市井の一人を大切にする・・・。
その姿は多くの名文、名連載を生み、慕う者も多かったが、
かならず目立つものには足を引っ張るものが現れる。

そうして、黒田氏は、定年を前に読売を去ることとなる。

腹心の同士、大谷昭宏氏とともに、退職後も個人事務所でミニコミ紙作成等
ジャーナリスト活動を展開する。
それも、読売時代に始めた「窓」という紙面と読者をつなぐコラムを責任をもって引き継ぐ
という思いが中核となっている。

黒田氏のことばで、タテ社会でもヨコ社会でもない、マル社会があったらいい、
ということばがでてくる。
誰もが、どんな立場でも、どこに住んでいても、中心に同じ距離であるということ。

これが、彼の目指したものであり、これをジャーナリズムで実現しようと
人生を投げ打ってトライし続けていたことなのだ。

確かに、強い個性を持ち、確固とした考えをもつ人には、味方ができれば本当に最後まで
ついていくかもしれないが、敵も多かった。

新聞社で閑職に追いやられ、「黒田軍団」とまで言われた社会部長時代の組織を
新しい東京の体制によりばらばらにされたときには、本当に喪失感があったことと思う。

しかし、きっと黒田氏にとっては、それらの辛い体験は過去の傷として残りつつも、
晩年には未来をみつめ、現在をみつめ、さらにマル社会に近づくためにはどうしたらいいのか
ということを、身近な人々、そしてミニコミ紙で繋がっている一人ひとりと共に考えていたのだと思う。

さらに、この本では読売新聞という新聞社組織と黒田清という一人のジャーナリストを通して、
戦後から平成に入る頃までの日本のジャーナリズムの変遷を同時に描いている。
それは生きた時代の動きでもあり、さらに、ジャーナリズムと実社会の格差を埋めようとした、
心あるジャーナリスト、記者たちの思いも込められているのだ。

他社の記者からも、一目おかれ、または尊敬のまなざしを受けたジャーナリスト。
黒田清だからこそ、本は朝日新聞の新刊紹介欄に載ったのだと思う。

テレビでの、もっと言いたいのに、時間がないというあの黒田氏の余韻・・・。
生きていらっしゃるうちに、どこかの飲み屋のカウンターで、
その続きをこれでもか、というまで聞いてみたかった、と思うのは私だけではないはずだ。

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※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

黒田清 記者魂は死なず

黒田清 記者魂は死なず

  • 作者: 有須 和也
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2005/12/16
  • メディア: 単行本


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