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現代社会での成熟とは「思春期ポストモダン 成熟はいかにして可能か」斎藤環 [人生や物事について考えたいときに]

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「思春期ポストモダン 成熟はいかにして可能か」 斎藤環 幻冬舎新書 2007年

著者は思春期・青年期の精神病理学等を専門とする臨床医でもある。
そんなところから、よく引きこもりについて紙面やTVで名前を見かける方も
多いだろう。

その斎藤氏が今回この作品で書いたのは、引きこもりや不登校、ニートと
いわれる若者(・・・といってもその年齢は徐々に上がってきているのだが)
についての個々の問題だけでなく、もっと大きな社会現象だ。

そう、現代社会が、日本が成熟すればするほど、人間が成熟しがたくなる、
という事実である。

そういわれれば、いろんなことに納得がいく。
なぜ、モラトリアム期間がどんどん延びていくのか、
なぜ、大人もすぐにキレるのか。

作家は言う。「いわゆる『若者論』は典型的な『ニセの問題』だ」と。
さらに、「かんじんの次世代を育てるのは、当のどうしようもない
『現代の若者たち』ではないのか?」とも。

確かにそうだ。
いつの時代にも「イマドキの若者」とか、「若者の乱れ」ということは
いわれてきた。
著者に言われてみれば、いつも若者という期間の間には
そういう「大人」には理解できない、としてしまう動きや問題、時に犯罪が起きる。
それは今に始まったことではない。

そう考えていくと、最初の著者のテーマ、
「成熟はいかにして可能か」というところに戻っていくのである。
成熟した人間を大人というのなら、成熟するとはどういうことか。
そしてそれは今の時代に果たしてどのように可能なのか。

思うに、それはとても難しいことだ。
一人の人間の中にも、成熟した部分とそうでない部分もある。
そして、その成熟していない部分がダメなのか、といえば、
そう言い切れるのか。
私にはわからない。

作者がカテゴライズするように、ネット社会が浮き彫りにした
「自分探し系」と「引きこもり系」という二つの若者像は、若者だけでなく
あるいは大人といわれる年齢にも当てはまるのかもしれない。

そう考えると、引きこもることが必ずしも根本的にだとは言い切れなくなる。
また、自分探しをすることが、必ずしも結果的に成熟へのルートだとも言い切れない。

大人とは、成熟とは。

大人、といわれる世代こそがそこをしっかり見つめ、考えていかなければ
若者が道にとまどうのもしかたがないのだろう、とため息をつく。

それでいい、ということではない。
みんなでどうしたらこの社会環境で心地良く譲り合って気分よく生きていけるか。
それを率先して考えるのが、大人の役目ではないだろうか。

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※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書 さ 4-1)

思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書 さ 4-1)

  • 作者: 斎藤 環
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2007/11
  • メディア: 新書



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コメント 2

クレマチス

若者がいつまでも若者でなく、次世代のことを考えるようになった時、大人になったといえるのかもしれませんね。
by クレマチス (2008-07-03 23:15) 

ニライカナイ店主

クレマチスさんへ>
ご来店&コメントありがとうございます。
確かにそうなのかもしれません。そう考えると、いわゆる「大人」と
いわれている人たちの中にも実はまだ「大人」になりきれていない
グループが大きくなりつつあることもうなづけます。
自分はどうか、とふりかえりつつ・・。
by ニライカナイ店主 (2008-07-17 12:10) 

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