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絵本ではあるが・・・佐野洋子「わたし クリスマスツリー」 [思いきり泣きたいときに]

「わたし クリスマスツリー」 佐野洋子作・絵 講談社 2006年

絵本なのだが、しかも「全国学校図書館協議会選定図書」なのだが。
佐野洋子氏の絵本だから、そうそうたやすく、ほのぼので終わるわけにはいかないらしい。

季節ものを・・・と探しているときに、この絵本と出会ったのだ。
いろんな今までの人生や生き方について、見せ付けられてしまったような気がする。
おそらく、そう感じるのは私だけなのかもしれない。

この本はきっとその年齢ごとに感じ方も受け取るものも違うような気がするのだ。

子供は子供なりに、若者は若者なりに、中年は中年なりに、そして高齢の方でも
きっと何かをそこに感じるに違いない。

絵本は、森の中に一本はえている若いモミの木を主人公として、
森の日々の様子から始まる。
季節を映す美しい彩。
佐野ブルーも健在だが、この絵本は様々な色がめずらしく多様されている。

若いモミの木の願いは、ただひとつ。
「わたしはクリスマスツリーに なるの、きれいな町で。」
「もうすぐだわ、もうすぐなのよ。わたしは きれいな町で
クリスマスツリーに なるの。」

そんな若いモミの木に何が起こるのか、そしてその時、森の住人達はどうするのか。

それは、まるで人間界でも起こりそうな話。

一番年長の木が最後に言う。
「しっかり 土に 根を いれるんだ。」
それは、まるで私たちへの呼びかけのような気持ちになる。

苦い展開の後も、最後まで若いモミの木の本当の気持ちは、実は言葉には表れない。

その気持ちを推し量りながら、いつのまにか自分なら・・と
立ち止まる読者は少なくないはずだ。
それがかならずしもメリーな気分であるとは限らないだろう。

ただ、森の住人たちのような暖かく賢い仲間達が、
誰の人生にもいることを願いたい。

・・・いや、実は目をよく見開いて曇りないまなざしを向ければ、
誰の周りにもこうした仲間達はいるのかもしれないのだけれど。

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※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

新装版 わたし クリスマスツリ-

新装版 わたし クリスマスツリ-

  • 作者: 佐野 洋子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/10/24
  • メディア: 大型本


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「地下鉄にのって」原作と映画の狭間で [思いきり泣きたいときに]


「地下鉄(メトロ)に乗って」 浅田次郎 徳間文庫 1997年

私は長いこと地下鉄有楽町線を使っていたことがある。
それも、できたばかりの頃からだ。

使い始めてしばらくすると、駅がどんどん湾岸のほうに延びていった。
定期を活用するために、乗り換えも飯田橋や有楽町など、有楽町線をメインに使っていた。
半蔵門で「だまされた」と思うような乗換えをしたこともある。
今では東武線や西武線と乗り入れをしており、
朝は池袋から並んで座っていこう、というわけにもいかなくなってしまった。

そんなこともあって、地上の電車よりも何かしら地下鉄に親近感のある私が
この作品に出会ったのは、以外なほど遅かった。

タイトルが、気にはなっていたのだが、著者の作品とめぐりあうチャンスが無かった。
1995年に第16回吉川英治賞を受賞したこの作品は、
著者の自伝的作品ともいわれている。
著者と父との関係をベースにこの作品は描かれているのだという。

ある日、映画化されたものを見た。
ずっと原作のことが気になっていたから見た映画だった。

私はその冒頭でおおきなショックを受けた。
最初に表れる新中野のシーン。
地下鉄丸の内線が開通したばかりの鍋屋横丁が映し出される。
私がおそらく生まれて初めて乗ったのも、丸の内線だったに違いない。
なぜなら、そこが私の生まれたふるさとでもあったからだ。

そうして、私は映画の登場人物と同様に、地下鉄とともにタイムトリップしながら、
まるで映画の中にいるかのように旅をした。
時間と、地下鉄に運ばれる旅を。

              *******

その後、やっと原作と廻り逢うことができた。

原作は、小さな下着メーカーの営業をしている40過ぎの男性である。
彼には実は今も引きずっている過去がある。
本来なら大企業の跡取り息子となるべきはずが、
何故か家族5人、なんとか日々を暮らす生活である。

そう、彼は父とある理由から反目し、家を飛び出したのである。

そんな彼には彼と親友しか知らない秘密がある。
彼には職場に妻以外に愛する女性がいるのである。

父を憎み、反目し、権力や傲慢さを激しく嫌う自分を、
いろいろな人が「お父さんに似ている」という。
さらに彼は反発する。

ある日、同窓会の帰り、老年の恩師と地下鉄の駅でばったりと再会する。
そのときをきっかけに、主人公は時間と地下鉄の迷宮へと足を踏み込んでいくことになる。

             *******

映画はほぼ原作に忠実であったと思う。
いくつか省略した部分と、変更点をのぞけば、本筋は原作どおりである。
壮絶な終わり方も原作とあまり違ってはいない。

しかし、私は映画で見たときに何かしら心につかえるものがあった。
さらりと流されたセリフ、
その中に実は大きな意味があったことに原作を何度か読み直して考える。

そのことで、ああ、あの場面はこういう意味があったのか!と
さらに映画の理解が深くなる。

あるいは、映画のキャストや作りがかなりよく出来ていたので、
それが作品をさらに興味深いものにしてくれていることも否めない。
一方、映画で私がつまづいていたところ、まさにその点が
原作では重要な意味をもつ部分であり、
本を読むことでそのつっかえが取れたような気がした。

よく、先に本を読むか、映画を見るか、悩むことがある。
私はどちらかといえば本を読んでから見るほうなのであるが、
この作品はどちらからいってもきっとお互いを補い合って、プラスに向かうような気がする。

原作の不思議な突然のタイムトリップ表現や、
時代を表すできるかぎりCGを排除した美術によって、
現在が過去の出来事、人々の暮らしや生活、戦争、
生きるための戦いという過去の上に成り立っていることがよくわかる。

今目の前に見えている世界でも先進といわれる都市東京が、そして日本が、
何を土台にして今の姿を保っているのか。
それは原作と映画の両方によって更に理解を深め、想像をかきたててくれた。

さらに、付け加えるならば・・・
原作に何度となく描かれる地下鉄に包まれているような安心感。
今でも時に利用する網目のような地下鉄網の中で、私も同じように感じるのは何故だろうか。

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地下鉄(メトロ)に乗って

地下鉄(メトロ)に乗って

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/12
  • メディア: 文庫


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40代女性たちの絆 「ひとがたながし」 北村薫 [思いきり泣きたいときに]


「ひとがた流し」 北村薫 朝日新聞社 2006年

北村氏の物語は、よく埼玉が舞台になる。
今回も、埼玉が舞台なのだが、これがなんとなくほっとさせる。
東京でも地方でもない、微妙な地域。これがなんともリアルなのだ。
確か、著者も埼玉在住又は住んでいたことがある、と思った。

それはさておき。
この物語は40代半ば~後半と思われる3人の女性の物語である。
ある意味では、友情の物語であり、生き方の物語である。

主人公はTVのアナウンサーとして、着実にキャリアを積んできた。
今、まさに朝の看板番組のメインを任されようとしている。
彼女のそれまでの努力、姿勢がむくわれようとしている。
一方、彼女は独身であり、既に両親は他界している。
唯一の相棒は猫のギンジローである。

その主人公の小学生時代、そして高校、大学以来の友人が二人いる。
家で物書きをしている大学受験中の娘をもつシングルマザーと、
写真家の夫のフォローをしている大学生の娘をもつ母。
この3人のトライアングルを中心に、娘世代、そして夫を含め、この物語は幕を上げる。

女性は結婚して家庭を持つとつながりがきれがちだ、というけれど、
それは今では通用しない話だろう。
男だって、つきあいがやたら好きな人もいれば、今は家庭第一、自分第一の人も多い

女もそうだ。女性の友情の結びつきは最近は強いらしい。

特に、離婚して小さな子どもを抱えた女性にとって、その娘の成長に関わってくれる
気心の知れた女友達はかけがえの無いものであり、娘にとっても家族の延長となるのであろう。

主人公と友人ふたりの娘たちも、ある意味ではそのような関係である。
年齢の違う母ではない同性の知り合い、というのもあるとき大切な存在になるかもしれない。

物語は、孤独な時を乗り越えながらも仕事では順調であった主人公に起こった
大きな「できごと」から大きく向きを変えて展開し始める。
その時、一人の女性はどう生きていくのか。
その時、友人たちはどう主人公を支えようとするのか。

この40代の3人の女性の生き様と、支えあい引き合う友情を読んだとき、
皆さんはどう思うだろう。

私は、なぜか大きな桜の木を思った。風に舞う花びらとともに。
日々が流れても時がくれば必ず思い出す、忘れることはできないもの・・・

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ひとがた流し

ひとがた流し

  • 作者: 北村 薫
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本


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星を見上げて 「詩集 カノープス―宮古島にて」 [思いきり泣きたいときに]


「詩集 カノープス―宮古島にて」 
村尾イミ子 土曜美術出版販売 2001年初版

ニライカナイへの中継地のような島に居たとき、この本とたまたま出会った。
ある方の家の本棚に、そっと置かれていた本だ。

この作品は、作者が書き溜めてきた詩集であるとともに、
医者である夫を追って宮古島に移住し、
夫と共に宮古島や沖縄の離島の島々を訪ねたことを詩にしている。

彼女の夫は、慶応病院、日野市立総合病院を経て、
宮古島にある最南端のハンセン病療養所である南静園での医療を担当、
その後は宮古の老人ホームで医療に携わっていた。

夫婦2人のおだやかな「竜宮城」での生活。
しかし、それは長くは続かなかった。

夫が病に倒れ、「21世紀の空気をほんのちょっぴりすいこんだだけで」天に召されてしまう。
その喪失感は、おそらく、「竜宮城」であったからこそ、重く、暗いものだったに違いない。
自分にとって、まだ縁の薄かった場所で最愛の人を亡くす、
ということがいったいどんなことなのか。
その気持ちを思うだけで胸が張り裂けそうになる。

4部構成のうち、最初の2部は宮古島、そして他の離島を訪れたときのことが、
第3部では夫を失った深い痛みが、第4部では夫が宮古地区の医師会だよりや
慶応病院の学部新聞(平成5年)に寄せた原稿などが掲載されている。

カメラが好きで、植物が好きで、何より星が好きだった夫。

その夫が、本土や沖縄本島では地平に隠れて見えにくい「りゅうこつ座」の一等星、
「カノープス」が宮古島で見られることをどれだけ喜んでいたか・・・。
それが、この作品にそのままタイトルとして付けられている。

宮古島でカノープスを見つける方法。
11月から2月上旬に、オリオン座のペテルギウス、こいぬ座のプロキオン、
大いぬ座のシリウスが作り出す「冬の大三角形」(逆三角形になる)の上辺の真ん中を
シリウスにまっすぐ下ろしたところ、地平から11度、そして地平線にこぶしひとつ分上のあたりに
見つかるのだと夫は説明したという。

作者は、お子さんもいるとのことで、東京に戻っていらっしゃるようだが、
きっと時々は宮古島を訪れているのだろう。
夫の愛した自然、そして「カノープス」をみつめるために。

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詩集 カノープス―宮古島にて

詩集 カノープス―宮古島にて

  • 作者: 村尾 イミ子
  • 出版社/メーカー: 土曜美術社出版販売
  • 発売日: 2001/10
  • メディア: 単行本


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今も残る大切な形の無きもの「愛と死をみつめて ある純愛の記録」 [思いきり泣きたいときに]


「愛と死をみつめて ある純愛の記録」
大島みち子・河野実共著 1979年初版 大和出版 (1963年大和書房初版)

今度TVでドラマ化されるのが確かにきっかけではあった。
しかし、その前に私の中にずっと「この本を読んでみたい」という気持ちはあったのだ。
それは、このドラマを見たことがあり、テーマソングまで歌えるから。
それがなぜなのか、ずっとわからなかった。

今回、この本を読んだことによって、年代的に私がこの作品がTVドラマ化されたものを
見ていたというのはかなり無理な話であることがわかった。
この作品は、1963年に刊行され、大ベストセラーになったという。
その翌年、テレビドラマ化。それも大変人気になり、その年内に3回も再放送されている。
さらに、同年秋には吉永小百合主演で映画化もされている。
おかしい、見られるはずが無い。

実家の母に確認すると、確かに一緒に白黒のテレビで見て、私はテーマソングを覚えてしまった
ので驚いた、と話をしていた。さらに、母の実家である中野の近くにこの著者の一人、
河野氏が住んでいたらしく、当時大変話題になったことも知った。

論理的に考えると、さらに数年後に再度ドラマ化されたか、再放送されたものをテレビで見ていた
のだとしか考えられない。
しかし、その時3歳下の弟はまだ居なかった。記憶とは恐ろしいものである。

私の映像での記憶は、テーマソングとともに、若い女性が白い病室のベッドから身を起こし、
学生らしき男性と楽しそうに話すシーン、時にその学生が女性を励ますシーンとして
心の中に残っていた。

私は自分の記憶を確かめるためにも、原作を読んでみることにした。

                   ************

あらすじはこうだ。
昭和35年、耳を手術するために信州から大阪大学付属病院に一時入院していた浪人生
(これが河野実氏=まこ)が病院で一人の少女と出会う。
それが「軟骨肉腫」という当時不治といわれていた病が左顔に発症してしまった
大島みち子(みこ)だった。まこの退院をきっかけに、二人は文通をはじめる。

その後、まこは中央大学に入学、東京で寮生活を初め、みこは一時体調が好転したため、
高校にもどり、同志社大学に入学する。
しかし、みこは再度病の悪化のため、阪大病院に再入院することになる。

この本に収録されている二人の書簡は、この再入院中に大学2年生になっていたまこが
大阪にアルバイトに行き、みこに再会し、二人で数日を過ごした時期から始まる。

この本を読んで、最初の3分の1は涙し、中間の3分の1は困惑し、最後の3分の1は
二人の姿を静かに見守るしかなかった。

もう、助からないということがわかっていても、愛を知って生に望みをつなぐ女性。
さらに、彼女は顔の半分を切り取らねばならない、という悲劇を襲う。
それでも生きたい、と決心する。その決心をさせたのはその愛する人だった。

しかし、好転しない病状の中で、病と闘うものも、それを支えるものも、ゆれ続ける。
もう死んでしまうのうか。いや、絶対に生きるんだ。
その言葉が繰り返し振り子のようにゆれる。

書簡だけを読んでいると、病人のみこよりも、何もできないまこの方が苦しんでいることがわかる。
自暴自棄になっている。
しかし、女性は手紙のほかに日記を書いており、そこには苦しい思いがあからさまに
書かれていたことをあとからまこは知るのである。

相手が死ぬことがわかっていて、どこまで愛し続けることができるのか。
彼は愛することに希望を持ちながら、同時に愛するものを失う現実を目の前にして、
自分を支えきれなかったのかもしれない。その苦しみはいかほどだったのだろう。
しかも、今のように時間的、金銭的にすぐに行き来できない東京と大阪にわかれて。

一方、女性のほうは、死ぬことがわかっている。
わかっていて、自分のために愛している人がだめになっていくことを手紙で知ることになる。
なんども別れようとする。でも、できない。
その支えがなければ自分自身の希望がすべて消えてしまうことがわかっていたからだ。

手紙は3年と1ヶ月、およそ400通が二人の時間をつむいだ。
しかし、実際に会えたのはほんの数十日間だった。

本当に読んでいて苦しい本だった。
しかし、その中にも、ふたりが苦しみながら生きようとしていること、
互いを愛していることをなんとか伝えようとしている姿が浮かぶ。
死が近づくほどに、それは混乱し、暴走し、しかし、最後は静かに確かなものになってくる。
それは、言葉には表しきれないものである。しかし、文字という形はとらずとも、
読んだものの心の中に静かに沈んでいく。

ふたりの愛は、今でも多くの人に生きること、人を愛すること、そしてその苦しみと喜びを
伝えてくれるのだと思う。

私がいつどうしてこのドラマを見られたのか・・・という謎は解けないままだ。

この本の後のできごとについてはまた別の本が出版されている。
折をみて、その本にも触れたいと思う。

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愛と死をみつめて―ある純愛の記録

愛と死をみつめて―ある純愛の記録

  • 作者: 大島 みち子, 河野 実
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2004/12
  • メディア: 単行本


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この作品が出されて良かった「まんげつのよるに」木村裕一作・あべ弘士絵 [思いきり泣きたいときに]


「まんげつのよるに」木村裕一作・あべ弘士絵
2005年11月初版 講談社

「あらしのよるに」シリーズについては以前6巻目までをご紹介した。
http://blog.so-net.ne.jp/bookcafe-niraikanai/2005-12-14-1
6巻目の「ふぶきのあした」を読み終わったときに、「これで終わってしまうんだろうか?」と
非常に不安定な気持ちになった。
ヤギのメイだけが助かり、2匹が目指していた地にたどり着く。
ある程度の年齢の者にとっては、そこで終わることも「アリ」なのだ。
しかし、これを読んだ子供達はどうなのだろう。
子供達にとって、これが現実だ、と説明できるのか。
私は実は6巻目を読み終わってからずっとそのことが頭から離れなかった。

そんな時、7巻目が出版されたことを知った。
しかし、その作品も大変厳しい現実を描いている。孤独なメイの苦悩と絶望。
誰も知り合いのいない新たな地で、最も大切な友人を失ったことに打ちのめされていく。
この空虚感は大人にもぐっと来る。もしかしたら大人だからこそかえってリアルなのかもしれない。
大切なものを失ったときの脱力感。自分の生への意欲は枯れていく。
そして・・・。

最後の数ページに、この7巻にわたる物語の語ってきたことが凝縮されている。
そう、私達は国籍や、経歴や、仕事や、収入や、考え方や、思想や、宗教や・・・
そういった「違い」を乗り越えて、同じ高さで同じ場所に立って生きていける可能性があること。
それを私は7巻の物語から感じ取れたような気がする。
そして、この7巻目があるからこそ、多くの子供達に、そして大人にも
この作品にめぐり合ってほしいと思う。

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まんげつのよるに

まんげつのよるに

  • 作者: 木村 裕一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/11/02
  • メディア: 単行本


あらしのよるにシリーズ 全6巻

あらしのよるにシリーズ 全6巻

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/06
  • メディア: 単行本


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運命を信じますか?  「リセット」 北村薫 [思いきり泣きたいときに]


「リセット」 北村薫 2001年1月初版 新潮社

以前、このブログでご紹介した「スキップ」とともに、北村氏の「時と人」三部作の
最後の作品である。

この物語は、第2次世界大戦のまさに開戦の年に始まる。
神戸の芦屋に住む、戦前は暮らしに困ることも無い主人公の女性、真澄は
やはりお嬢様の友人のいとこである修一と何度か出会い、一冊の本を貸し借りし、
そのことを通してお互いを思う淡い思いに気がつく。
しかし、学徒動員で学生達が働いていた工場が爆撃され・・・。

そこから、運命の輪廻が回り始める。
キーになるのは、獅子座流星群、一冊の本、啄木の詩、そして古い映画のタイトルソング。
真澄と、修一はその後十数年を経て、決してありえないかたちで再会する。
それはあまりに哀しい再会であり、結ばれるはずもない二人でしかなかった。

そして、さらに数十年。魂は運命の糸をたどり、行き着くべき場所へと導かれていく・・・。

あまり内容を書いてしまうと、この手の作品はお読みになるときにもったいないので、
紹介はこのあたりまでに・・・。
ただ、最近流行った、一時時間を遡ったり、生き返ったりするような何作かの小説以前に
この作品があり、それらの小説を否定するものではないが、それらには届くことのない高みを
最後に見せてくれる作品であることを記しておきたい。
戦時中の歴史と事実の悲しみを感じ、また一方、昭和30年代の子供達のいきいきとした
姿を知ることもできる。

この作品では、獅子座流星群が重要な位置を占めるのだが、獅子座流星群とはなんだろう。
毎年11月17、18日頃にテンペル・タットル彗星から放出された「ちり」に地球の大気が
ぶつかって見られる発光の様子が、便宜上獅子座の方向に見られるために獅子座流星群、
と言われているそうだ。
そのテンペル・タットル彗星は太陽を33年周期で回っているのだが、その33年程度に一度、
かなり地球の軌道に近づくことがあり、その時に大規模な流星を見ることが多いらしい。
ただ、これも地域(ちょうど大出現する時間に夜である国でしか見えないし、曇っていても見られ
ない)によったり、1年ずれたりするようである。
直近では1998年に出現、といわれていながら、結局は1999年にヨーロッパで大出現した
ということもある。

この33年という周期はこの作品の重要な鍵にもなる。
星の軌道が繰り返して回転していくように、地球が日々自転しているように、
運命は廻り行くのだろうか?
そんなことを宇宙をゆるやかに流れる時を思いながら、ふと短い人生を考え、切なくなる。

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リセット

リセット

  • 作者: 北村 薫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 文庫


リセット

リセット

  • 作者: 北村 薫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/01
  • メディア: 単行本


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原作をぜひ「幸福な王子」オスカー・ワイルド [思いきり泣きたいときに]


「幸福な王子」
オスカー・ワイルド 西村孝次訳 新潮文庫 
昭和43年1月発行 平成15年65刷改版

皆さんは、この物語をきっと子どものころに読んだり、聞いたり、
また、アニメなどで見たことがあるかもしれない。

私も子供向け絵本の挿絵のイメージが強く、本当はどんな作品だったのか、気になっていた。
ただ、最後は確か王子の像はすべての金箔を与えてしまい、
それを運んだ鳥とともに滅んでしまう、ということしか覚えていなかった。

今回、ちゃんと本来の著作を読んでみて、私は涙が止まらなかった。
電車の中で読んでいて、人に気づかれないようにするのが大変なくらいに。

それは、なぜ宝石や金箔を運ぶことになるつばめと王子の像が知り合うのかという経過や、
王子がどんなに街の貧しい人々の様子を見つめ、悲しい思いを日々していたかという
ディテールを全く知らなかったからなのだ。
そこにこそ、この物語の真髄がある。

そして、最後に、ふたつの命が絶えた後の人々の対応。
これは、ある見方をすると、現在の世の中を映しているともいえる。
特に、組織や権力、人の関心に関しては、きっとこれが昔からの現実なんだろう、ということを
王子とつばめの魂が気高く美しいだけに、痛切に心に感じ、
涙せずにはいられないのであった。

同時収録の「ナイチンゲールとばらの花」は命をかけて恋することの激しさとはかなさを、
「わがままな大男」は自分のことしか省みなかった大男が、人生の最後に知る
無償の愛について描かれている。
これらも含め、おそらく子どもは子どもなりに、大人は大人なりに、
これらの物語を味わい、感じるものがあるだろう。

しかし、きっと大人のほうこそが、人生の経験を重ねて辛さや悲しみを知る分、
涙するのかもしれない。

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新潮社版

幸福な王子―ワイルド童話全集

幸福な王子―ワイルド童話全集

  • 作者: 西村 孝次, ワイルド
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1968/01
  • メディア: 文庫

偕成社版

幸福の王子―オスカー・ワイルド童話集

幸福の王子―オスカー・ワイルド童話集

  • 作者: オスカー ワイルド
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1989/03
  • メディア: 単行本


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