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十通の手紙 5 [ゴールデンブログアワードノベル]


第2章 <5>

 再び春になった。
僕は医大の二年生になり、理沙は大学一年生として新宿に近いマンモス大学の文学部に入学
した。
 僕は、少しずつ医学部らしい授業も出てきたものの、まだ医大生であることを実感することは少な
かった。解剖学や臨床学もまだ理論的な段階だった。ただ、実習が始まると結構ショックを受けると
いう話も聞く。そんな話を先輩から聞きながら、そんなもんだろうかとぼんやり考えていた。医者にな
るのだから、実習があるのは当たり前で、そうでなければ患者を診られないじゃないか、と。
 実際に目の当たりするまでは、そんなのん気な気持ちでいた。

 理沙の専攻は一年生の時の成績で決まるので、目指す社会学専攻に進めるよう、少し真面目
すぎるんじゃないかと思うほど真剣に授業に出席し、勉強していた。一年目でそんなに取らなくて
も、というほど必須科目を組み合わせ、教員と司書資格を取るための授業まで取っていた。司書は
本の好きな理沙だからわかるにしても、なぜ教員免許まで取るのかわからなかった。

「先生になるかもしれないの?」と僕が聞く。
「いつ、何が必要になるかわからないでしょ。」と理沙。
 僕らはいつも、お互いの授業が早く終わる木曜日と土曜日の夕方に新宿で会うことが多かった。
なじみの喫茶店の二階で、僕らはお茶を飲みながら話し始めてもう一時間がたっていた。
「将来、先生になりたいって思うかもしれないし・・・。私、本当はね、恥ずかしいけれど何かになりた
いっていう具体的なイメージが今ないの。」
 紅茶党の理沙は、コーヒーは飲めなかった。冷めてしまった紅茶の残りを砂糖も入っていないのに
スプーンでかき混ぜながら言った。
「あなたはもう、お医者さんになるって決めているんだものね、すごいわよ。」
 僕は、確かに進路を考えて受験をしたわけだし、父の小さな建設会社を継ぐよりも、医者になる
ほうが自分には向いているような気がしたし、何故か自由になれるような気がした。それが、何から
の自由なのかはうまく説明できなかったけれど。
「理沙だって、頭がいいし、大学も一流なんだ。ゆっくり考えればいいじゃないか。」
 実際、理沙はとても頭のいい子だった。さらに気遣いもできるし、料理も、裁縫も、手芸も、楽器も
いろいろできた。僕にとって、いや、誰にとっても何一つ非の打ち所の無い女性だった。

「第2外国語はね、ドイツ語にしたの。ほとんどの人はフランス語だから、悩んだんだけれど・・・。
でも、ドイツ語はきっとこんな機会でもないと勉強できないと思って。」
 理沙はそう言ってドイツ語のテキストを見せた。つまらなそうな暗い話だという。新しい環境に慣れ
ようと懸命な理沙は、新たな学生生活を僕に一生懸命説明したいようだった。

「児童文学の研究会に入るかもしれないの。昔から子供のこととか、子供の本のことに興味があっ
たし・・・。この間部室に行ってみたら、部員は少ないけれど、みんな面白そうな人たちなのよ。」
 理沙はまだカップをスプーンでかき回していた。
「そしたらね、その部室のすぐ近くで佐伯さんに会ったの。あの人もそういえば同じ大学だったのね。
部室が近いのよ。山登りのクラブですって。」

 僕は、すっかり忘れていた。そうだ。僕のあのトリプルデートを企画した悪友、佐伯も理沙と同じ
大学に去年合格していた。
 あいつとは、卒業してからすっかり音信不通だった。もともと、反りの合わないところもあって、卒業
以来、連絡をとっていない。あの大学にあいつがいることはわかっていたが、彼は商学部で校舎が
離れているし、まさか理沙と会うようなことはないだろうと思っていた。

 何か嫌な予感がした。でも、それが何なのか、その時には想像も付かなかった。

<6>

 僕はクラブのようなものには入っていなかった。
 もともと人付き合いに自分から積極的なほうでもなかったし、同じ学年の同じ授業を取っている
仲間とたまに飲みに行くくらいだった。

 そんなある日の飲み会で、新入生の看護学専攻の女の子たちと飲む機会があった。もう、最近は
そんな合コン的な飲み会にもすっかり慣れ、適当に女の子をあしらうこともできるようになった。
 その日、隣に座った子が途中で気分が悪い、と言い出した。
「外の空気を吸えば少しよくなるかも・・・。」という彼女がふらついているので、一緒に出てやることにした。
 そこは飲み屋がいくつか入ったビルで、エレベーターで降りるとちょっとした広場のようになっていた。
「大丈夫?」僕が聞くと、急にその女の子は表情を変えた。
「あら、気づいてくれないんですかあ?私、酔ってなんかいませんよ。わざとです、わざと。」彼女は 
 僕にもたれかかってきた。
「このまま、他の店に二人で行っちゃいましょうよ。私のこと、嫌いですか?」
 ずいぶん積極的な女の子、いや、女だと思った。でも、こういうタイプの子が僕は苦手だった。
でも、そう思えば思うほど、彼女はもたれかかり、まるで僕らは抱き合っているような格好になった。

 そこへ、声をかけてきたやつがいた。
「よお、いいことしてるじゃん。他の女と抱き合ってたって、理沙ちゃんに言っちゃうぜ。」
 彼女を押しのけてみると、あの佐伯だった。
 最悪な場面での再会。
 僕は「悪いけど、こいつと飲みに行くから。」と言って、彼女を押し戻した。彼女はふくれっつらを
して、大きな声で僕をののしりながら、エレベーターに戻っていった。

「久しぶりだな。」僕は改めて佐伯に言った。
「おう。さすが医大生はもてるなあ。」と佐伯。
「飲みに来たのか?」僕が聞くと、佐伯はにらむような顔をして言った。
「バイトだよ、これから。学費を稼ぐには夜は仕事なんだよ。金持ちのぼっちゃんと俺は違うんだ。
じゃあな。今夜のことは理沙ちゃんにちゃんと報告しておくから。」

 そう言って、佐伯はビルの裏口に入っていった。その時のことが後からどんな結果を引き起こす
か、僕は全くわかっていなかった。
 とにかく、早く家に帰って、眠りたい・・・それだけが僕の頭をぐるぐるとめぐり続けていた。(続)


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十通の手紙 4 [ゴールデンブログアワードノベル]


第2章 <4>

 僕は翌日の待ち合わせ場所に、理沙の自宅の最寄り駅前を指定した。約束の時間を少し過ぎ、
地図と格闘しながら辿り着いた汗だくの僕が車から顔を出すと、理沙は目を丸くして近づいてきた。
 僕は、初めて車で自宅の周辺以外を走ったのだ。当時の車には、そうそうナビゲーションシステムなどついてはいなかった。

「いつ免許取ったの?知らなかった!」理沙はうれしそうな、楽しそうな顔ではしゃいだ。
「ついこの間。驚かせようと思って黙ってたんだ。初めて隣に乗せるのは理沙って決めてた。」
 僕は格好良くそんなセリフを言いながらも、大丈夫だろうか、と心配になった。ここに来るまでで
力尽き果てるほどだった。理沙を乗せても大丈夫なんだろうか。父から借りたセドリックは、教習車
よりかなり大ぶりだった。
 その心配を感じ取ったのか、理沙は言った。
「私ね、地図を見るのだけは得意なの。父が方向音痴だから。」

 その日、僕が立てたプランは横浜にドライブして、中華街を見て、オシャレなレストランで食事
して、山下公園を散歩する、というものだった。理沙の最寄駅からだと、高速まで戻るよりも、一般道
で南下していくほうが近いはずだ。
 しかし横浜にたどり着く前に、多摩川を渡ったあたりで行き止まりの細い道に入り込んでしまった。
僕のほうが悪いのに、しきりに理沙が謝っている。
「ごめんね、私の説明が悪かったのね。もう一つ前の交差点で曲がらなきゃいけなかったのね。」
 今の若者はナビのない車なんて考えられない、と思うかもしれない。でも、その時は地図を見る
しかなかった。バックするしかない。そして、僕はバックが苦手だった。格好の悪いところを理沙に
見せてしまった。

 予定よりも四時間も遅くなって、なんとか横浜に着いた。
 調べておいた駐車場に車を入れて、まずは食事をする予定の店を探す。これも、理沙が好きそう
なところを探しておいた。ところが、歩けど、歩けどその店が見つからない。
「私はどこでもいいのよ」と理沙は言った。少し疲れているようだ。それでも、理沙は横浜に来たのは
初めてだと言って、うれしそうだった。結局予定の店をあきらめ、小さな感じのよいレストランを
なんとか見つけて入った。
 シンプルなコースを頼んで、僕自身がほっとして理沙を見ると、理沙も疲れているはずなのに
とてもうれしそうな顔をしていた。
「このお店、かわいいわね。カフェ・カーテンがかかっていて、白い壁が素敵。」
 出てきた料理もまあまあだった。理沙はおいしい、おいしい、と何度も僕に笑いかけた。それまで僕らは、せいぜいファーストフードや喫茶店しか入ったことがなく、こんな風にちゃんと二人で食事をしたのも初めてだった。
 僕はその時、この子とだったら、きっと楽しい人生が送れるのかもしれない、とふと思った。食事の時間を楽しく共有できることが、どんなに人生で大切かという事を思い知ったのは、残念ながら
それからかなり後のことだった。店を出ると、既に夕暮れが僕らを包んだ。

 僕らは店の一本海側にある道を渡り、山下公園に向かった。もう、あちこちで明かりがついて夕景
をロマンティックに彩っていた。もうすぐ春だということを海からの風が教えてくれる。寒くはないけれ
ど、理沙の手を引いて、その手のひらの温かさを感じていたかった。
 理沙はまっすぐ前を向いて、風に気持ちよさそうに吹かれていた。理沙の前髪が揺れる。僕達の
視線の先に、次第に暮れていく海の色が遠く見えてきた。

 僕らの前にはその時、ひとかけらの陰りも無かった。大学に受かったことで将来のすべてのことが
約束されたような気がしていた。大切な人はすぐそばに居た。僕は、もうそれだけで満足だった。
引き止める過去もなく、これから先のことを今あえて深く考える必要も感じなかった。

 山下公園はいつの間にか恋人たちで一杯だった。僕は一瞬、理沙と僕もこんな風な恋人同士
なんだと思い出したように気が付いた。なんだか間抜けな話だ。
 ただ、僕には何故か理沙をこれ以上に求めたいという気持ちは無かった。少なくとも、その時は。
理沙は、僕にとって風のように自然な爽やかな存在であって、抱きしめたり、キスしたり、ましてやそれ以上のことをしたい、という気持ちは持っていなかった。
 それって、変なことだったんだろうか?今となっては、YESでもあり、やはりNOでもあるような気がする。

 その時、理沙が「もう遅くなっちゃったね・・・。」とつぶやいた。理沙の当時の門限は九時だった
のだ。僕のあの運転で帰るとすると、もう帰途に着かなければいけない。
「また、連れてきてくれる?ドライブ。」
 彼女はきれいな瞳で僕を見上げた。
「もちろん。もっと、ましな運転でもう少し遠くへね。」と僕。

でも、僕らが二人で「もう少し遠くへ」ドライブをすることはもう無かった。(続)


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十通の手紙 3 [ゴールデンブログアワードノベル]


第2章 <2>

 僕らは、土曜日の授業が終わると新宿で待ち合わせするようになった。
便利なことに、二人とも私服の学校だったので、学校の連中にはもちろん、人の目を
気にすることも無かった。

 彼女は映画が好きだったし、僕は音楽が好きだった。彼女の好きな映画を一緒に見て、
僕が好きなバンドのコンサートに一緒に行った。彼女の読んだ本の話を聞いたり(僕は読書が
苦手だった)、僕が得意で彼女が苦手だった数学を教えたりした。
 そんな風にして、僕らは多くの土曜日を重ね、時間を重ねた。

 それでも、僕らは手をつなぐだけで、それ以上のことはしなかった。
 彼女の清潔な陰りのない笑顔と、澄んだ目。僕は、今はそれだけで十分だと思っていた。
 彼女の悲しむ顔や拒絶する姿は絶対に見たくなかったのだ。

 やがて、僕は受験生となり、父と何度か話し合いを重ねた結果、医者になる道に進むべく、
医大を受けることになった。
 もちろん、今通っている高校も進学校といわれる学校だが、そこの授業だけでは足りず、
土日に予備校にも通うようになり、彼女に会う時間をつくることも難しくなった。
 そんな時理沙は、日曜日に予備校の始まる時間に合わせて新宿に現れ、一日中授業を受ける
僕のために弁当やサンドイッチを作ってきてくれた。新宿の駅でJRの改札越しに昼食の包みを僕に
渡し、一瞬手が触れ合う。そのぬくもりとやさしい笑顔だけを残して帰っていくのだった。
 改札越しに振り替えると、いつまでも手を振っている理沙が小さく見えて少し哀しかった。

 その年は夏休みも、クリスマスも、正月もなかった。ただ、季節だけが流れていき、電話で聴く
理沙の声と、つかの間に顔を合わせるときの笑顔が支えだった。モノクロムな季節の中で、
理沙に関わるほんの小さな場所だけが、ほの明るく照らされ、僕を温めた。

 東京も雪がちらつき始め、とうとう、受験が始まった。
 理沙には、たまに電話をすることがあったけれど、決して理沙の方からかけてくることは無かった。

 受験の直前に、少し大きめの封筒が送られてきた。母は余り面白くない顔をして僕に渡した。
「受験の神様の一番は東京では亀戸天神だとは思いましたが、あなたの第一志望校に一番近い
天神様のお守りを同封します。本当は直接お渡ししたいけれど、寒いから外には余り出ないほうが
いいと思い、郵送します。体にだけは気をつけてくださいね。いつでもあなたのことを思っています。  理沙 」
 そのお守りは袋に入れられ、さらにブルーの手編みのマフラーに包まれていた。
 僕はそのお守りをシャツの胸のポケットに入れ、理沙が編んだマフラーを巻きつけて受験校へと
乗り込んでいった。

<3>

 理沙のお守りが効いたのか、少しは努力が実ったのか、僕は第一志望の医大に合格することが
できた。模試ではいつもギリギリのラインだったにもかかわらず。
 合格発表の日、家よりもまず理沙に電話した。理沙は、電話の向こうで泣いているようだった。
 こうして、僕は医大生となることができた。

 春が来て、今度は一つ下の理沙が受験生となった。
 彼女は文系だったけれど、彼女が目指した国立大は数学も必須だったので、僕は週に一度
数学を彼女に教えることにした。
 それでは申し訳ない、という彼女を説得するために、文学少女の彼女に教養課程の文化史の
レポートを書いてもらったこともあった。
「なんでそんなに軽々とかけるのかなあ?不思議だよなあ。」と僕が言う。
「あら、私はどうしたらこんな数式がぱっと思い出せるのかが不思議だわ。」
 理沙はずいぶん明るく僕にいろんなことを話し、いろんな表情を見せてくれるようになった。相変わ
らず、彼女はきらきらして、きれいだった。純粋で、あざとさも、わがままさも、欠片すら感じられなか
った。なにかと積極的な同じ大学の看護学専攻の女の子たちとは何かが根本から違っていた。
 それはもちろん、理沙にそうあってほしい、という僕の心の投影もあったかもしれないけれど。

 医大に入ってからの授業はハードだったが、まだ教養課程の頃は余裕があって、看護学専攻の
子たちとの合コンにもずいぶん誘われた。断りきれずに何度かは行ったけれど、彼女達の押しの
強さや化粧くささ、香水のきつさに辟易した。とにかく、誰彼となく、僕に「ちょっと付き合わない?」
って言ってくるような感じさえした。それは妄想だと思っていたけれど、同級生たちによれば、「そり
ゃ、将来医者と結婚できるかもしれないチャンスでしょ?」という話だった。もちろん、真面目な子が
ほとんどだったんだろうけれど・・・。

 理沙にとってその一年は受験勉強中心の一年ではあったけれど、数学を教えるという建前(もちろ
ん実もある)で、数週間に一度は顔を合わせることができた。彼女は、本当は理系に行って生物を
やりたいという気持ちもあったようだが、彼女のネックは数学だった。生物や化学が比較的いい線
いっていただけに、彼女も悩んでいた。でも、彼女は家の都合で浪人もできないし、できれば授業料
の安い国立に入りたいと考えていた。家の経済状態を考えて進路を当然のことのように変えようと
する理沙は、僕なんかよりずっと大人だと思った。

 再び冬がやってきて、理沙にも受験の季節が始まった。

 理沙は第一志望の国立大には落ちたけれど、あとの私立はすべて合格した。その中の二つで
どちらに行くかかなり悩んでいたようだが、「多くの人と出会いたいから」と学生数の多い六大学の
一つに行くと決めた。でも、その大学の方がもう一方よりも授業料が比較にならないほど安かった
ことが、彼女の判断に大きな意味を持っていたのだと僕は感じていた。

 その時、僕はその後何が起こるかなんて少しも考えていなかった。理沙が進もうとしている大学に
あいつが行っていることさえ、すっかり忘れていた。ただ、理沙が希望に近い大学に入学が決まった
ことがうれしくて、一緒に素直に喜んでいた。これからは会える時間も増えるね、と電話で話し、
翌日久しぶりにデートする約束をした。(続)


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十通の手紙 2 [ゴールデンブログアワードノベル]


第1章 <3>

 彼女の実家では、案外早く解放された。結局のところ、婿の必要性はなく、婿がいるという事実が重要なのだ。
 明日、彼女のお好みの時間に迎えに来る、つまり電話をするからその時迎えに来い、という約束になった。真っ赤なアウディに僕一人が乗ると、何故かアンバランスで落ち着かない。世田谷から
武蔵野のはずれにある僕の実家までの幹線道路は、寒いせいか、元旦のわりに混んでいた。
 それでも、なんとなく一人になった開放感が気楽でもある。

 実家につくと、もう真っ暗になっていた。
 車を庭の空いたスペースに止めようとしたら、母が出てきた。
「やっぱり真理子さんは来なかったわね。お父さんと、賭けしてたの。私の勝ちだわ。」
 つまらないことを賭け事にする両親だ。結果はわかっているじゃないか。
「母さん、それで何を賭けたのさ?」
 母は車から降りた僕の肩に、上着をかけるのを手伝ってくれながら笑い出した。
「お父さんには少し休んでもらって、箱根の強羅花壇に連れて行ってもらいます。」
 仕事一筋の父にとって、高級旅館に連れて行くことよりも、休みを取ることのほうが難しいに
違いない。
「で、母さんが負けたら?」と思わず聞いた。
 母はちょっと意地悪な目をして、「それはないでしょ」と言い、ドアを開けてくれた。

 居間に入ると、暖気とともに、おせち料理に特有の甘しょっぱい香りが僕を包んだ。久々の
「一家団欒」という感じだ。僕は一人っ子だから、まさにこれが基本スタイルだったわけだ。
 結婚しても実家のスタイルの方に安心してしまうのは、まだ結婚して二年目だからなのか、
それとも「僕と真理子」だからなのか。それは僕にもわからない。
 父は、僕と顔を合わせると「おう」と言い、酒でも取りに行ったのだろう、別室に姿を消した。
 その隙に、母はさっとその部屋の隅にある引き出しを開け、白い封筒を取り出した。
「いったい、どうなっているの?この人とは。」母は声をひそめて僕に封筒を渡した。
 僕は、見慣れた白い封書に書かれた僕の名前の筆跡をじっと見つめた。

第2章 <1>

 見なくてもわかるこの封筒の差出人、理沙との出会いは十数年前に遡る。
 僕は高校二年生、彼女は一年生だった。学校も女子高と男子高だったのに、何故出会ったのか
というと、僕の悪友の彼女が、理沙と同じ学校にいたからだ。
 トリプルデートしようぜ、という悪友の提案に、男子高生の僕に異論はなかった。その時に付き合っていた女の子は居なかったし。
 悪友と、僕と、同じクラスのもう一人との三人で渋谷の109の前で待ち合わせた。相手の三人のうち、顔がわかっているのは悪友の彼女だけだ。一学期の試験も終わり、もはや夏休みを待つばかり。しかもそこは渋谷の当時ハチ公に次ぐ待ち合わせのメッカだ。熱い日差しの中、僕らはだらだらとしながら、横断歩道を渡ってくる女の子たちを眺めていた。
 その中に、お化粧バッチリ、髪も流した感じにパーマをかけて、高校生にしてはちょっと大人っぽいDCブランドに身を包んだ二人と、もう一人渋谷には似つかわしくない地味そうな子、という三人組が僕らのほうに真っ直ぐ向かってきた。
 悪友が手を振ると、上から下までブランドでまとめたイマドキの子が手を振り返した。この子が悪友の彼女のさっちゃんだ。さっちゃんは、同じ女子高の同じ学年で同じクラスの友達を連れてきた。
「理沙ちゃんは地味だけど、いい子だから。やさしいヒトにお願いしま~す!」とさっちゃんは甘えた声で言った。その、一人浮いているおとなしそうな子が理沙だった。

 別にやさしくはないけれど、乱暴でもない僕が結局理沙とペアを組む形になった。デートって言っても別になんてことはない。ちょっと大人っぽい映画を見て、話題の喫茶店で流行のパフェを食べるくらいのものだ。悪友とさっちゃんは腕を絡ませている。もう一組もいい感じになっている。僕らは―。
 僕らは、ずっと黙って一緒に歩いているだけだった。理沙は髪が肩より少し長いストレートで、
今で言う長めのボブカットだった。襟元だけレースになっている白い綿のブラウスに、緑と青の
チェックのボックススカートをはいていた。うつむいている顔を見ると、化粧のかけらもない。
 ただ、くちびるだけ、うっすらピンク色だった。口紅ではなくリップクリームに色が着いているタイプだ。
 僕は少し気をきかせたつもりで、趣味とか、好きな音楽とか、そんなことを聞いてみたけれど、
たいてい一問一答で終わった。
 そもそも僕は、自分からしゃべるのは苦手なほうだ。だから、トリプルデートなんかを率先してセッティングしてくれるような、マメでパワフルな友人がいるのは悪くはなかった。たまには僕だって、高校生らしいセイシュンも体験したい。ただその友人は、たまに僕が考えもしないズル賢い一面を見せるときもあって、なんとなく親友というよりはクサレ縁の悪友、という付き合いだった。

 夏の夕日もさすがに落ちてきた頃、あとの四人はその頃流行っていた六本木のディスコに行くと
いう。どうする?と聞いた僕に、理沙は初めて僕の顔を見て「ごめんなさい、私、行かない。」と
言い、駅へと走り始めた。
 僕は、なんとなく放っておけず、四人に目配せをして理沙を追いかけた。渋谷駅前のスクランブル交差点の中で、見失わないよう白いブラウスを目で追ったけれど、交差点を渡りきったところで
とうとうはぐれてしまった。
 そのままでいいじゃないか、とも思った。でも、何だかそのままにはできないような気持ちが
僕の心を後ろから押すようにもう一度走らせた。彼女が一問一答の中で「新宿で乗り換えるんです」と言っていた自宅への道のりを思い出し、初乗りの切符を買って、山手線の新宿方面のホームに駆け上がった。

 ホームの売店の隅っこに隠れるように、疲れきった彼女がぽつんと立っていた。
 一人離れて見ると、彼女はきれいな子だった。この時間に家に帰ろうとすることは、この齢の
女の子には本当は正しい選択なのだ。僕は、この子はきっと心もきれいな子なんだろうと思った。
そして、その思いが僕を彼女へと自然に導いていった。

 ホームで彼女の目の前に立ち、その手を取った僕を見たときの、彼女の神聖な表情を今も忘れられない。
 その後、何人かのいろんな女の子と付き合ったけれど、あの時の理沙の顔だけは忘れられないのだ。なぜなら、彼女の顔が、「私を見つけてくれた」と無言のうちに僕に答えてくれていたからだ。そして、僕の心も「ああ、見つけたんだ」と心の中でつぶやいていた。

 その日、僕は彼女を自宅の最寄駅まで送っていった。彼女は最初、僕の自宅からかなり離れて
しまうので新宿まででいい、と遠慮したが、僕のほうが行きたいと言った。彼女は驚いたような顔をしていたが、やがてとてもうれしそうに、そして安心したように笑った。
 その日、初めて見た笑顔だった。
 
 電車の中で、僕は恥ずかしがってなかなかしゃべろうとしない彼女のことを知りたくて、
いろんなことを聞いてみた。答えてくれることもあれば、恥ずかしそうに笑うだけのときもあった。
「誰かと付き合ってるの?」と僕が聞いたとき、理沙はびっくりしたような顔をした。
「それなら、今、あなたと一緒にいません。だって、一人の人しか好きになれません。」
 理沙は、自分がどんなに大切なことを告白したのか、気づいていなかった。(続)


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十通の手紙 1 [ゴールデンブログアワードノベル]


第1章  <1>

 まだ眠いのに、寒さで目が覚めた。ふと、カーテン越しに外の天気の様子をうかがう。
隣で、真理子が寝返りを打った。
「ねえ、初日の出は見られたのかしら?」
僕は毛布をかけなおしながら言う。「そんなこと言って、どうせ見る気もなかったくせに。」
真理子は声をたてて笑いながら僕のベッドに潜りこんできた。まだ夕べのワインの匂いがする。

 真理子は良く言えばお嬢さん育ち、悪く言えば世間知らず・・・というよりも自己中心的な人間だ。それはサッパリとしたもので、気持ちが良い程だ。
 自分の思うこと、したいことをズバッと答え、大抵はその通りになるのが我々のルールだった。彼女がディレクターであり、僕はプレイヤー。
 結婚して2年になる。僕の父の友人である会社社長の娘だ。彼女の実家もそれほど大きな会社ではないにしろ、まだぺいぺいの勤務医である僕の給料だけで数々のブランド物を買えるはずもない。義母と一緒に買い物に行って手に入れてくるのだろう。
 初めて彼女に会ったのは両家の親達がセッティングした目白台にある瀟洒なホテルのロビーだった。そのホテルのインテリアもきらびやかだったが、その日の彼女も確かに輝いていた。何一つ曇りの無い人生を送ってきた、ということが彼女の周りの空気から感じられた。
 そういう僕も小規模の建設会社ではあるが、父が一代で築き上げた会社の1人息子であり、記憶の中に「生活苦」という言葉はない。それにしても、よく「医者になりたい」と言った時、許してくれたものだと思う。父も父なりに思うところがあったのだろう。父はいまだ現役でがんばっている。
 そんな僕らは、両家の母と共にきらびやかなホテルのラウンジで都内屈指の庭園を眺めながらアフタヌーンティーをした。母たちが一足先に帰った後、庭園を自分のペースで歩く彼女の「どう?私、いい女でしょ」という一言で、そしてそれを否定しなかった僕の投げやりな優柔不断さで、結婚へのスタートは簡単にきられたのだった。
 半年後我々は、同じホテルで豪華絢爛な結婚式をし、スィートルームで友人達とシャンパンをあけて楽しんだ翌日、モルジブへとハネムーンに出かけた。

<2>

 僕達の新しい生活は、僕の勤務地の関係で茨城のある街でスタートした。当時、このあたりにはまだ広いマンションはなく、結局両家が用意した一戸建てに住むことになった。
「なーんにもないところなのね」
 新築の棟上式の日、ようやく現地に来る気になった、というよりも実母にたしなめられて来ざるを得なかった真理子は、つまらなそうに言った。
 世田谷の、自由が丘に歩いても行けるような便利で豪邸が立ち並ぶ住宅地に住んでいた彼女にとってみれば、ここは自分に必要なものが何一つ無い場所に思えたのだろう。もちろん、その中には僕も入っている。
 真理子には、今までもいろんな「良い」話があったのだろう。しかし、真理子のわがままときついものの言い方、自分のことを何よりも第一に考えるその性格が、多くの正しい判断をした男性達から人を介して「やんわりと」拒絶されてきた。そして、順番は父同士が個人的に仲の良かった僕のところに回ってきたわけだ。
 しかし、その時点で真理子は多分、優柔不断な僕にとって必要な存在だった。その頃の僕には付き合っていた女性が常にいた。古くは高校時代から、大学時代、インターン時代、そして勤務医にな
ってからも、時にはクロスして付き合っている女の子たちが僕のそばに、あるいは少し離れたところ
に居た。
 みんな、いい子だった。相手がしびれを切らして離れていくまで、僕は一度付き合い始めた子を自分から「別れよう」と言ったことは無かった。よく考えてみれば、ある意味で真理子と僕は似たもの同士なのかもしれない。
 真理子と結婚することになって、さすがにその時付き合っていたと自分なりに認識のあった女性には、そのことを何らかの形で伝えた。少しはごたごたしたけれど、多くの女性たちは、かえって良いきっかけができた、というようなさっぱりとした顔をして離れていった。

 そんな昔のことをまどろみながら考えていると、電話が鳴った。電話は真理子のほうが近い。
 取って、一言、二言話すなり、僕に受話器を渡す。
「お義母さんから。」
 僕は、きっとあのことだ、と思いながら少し憂鬱な気持ちで受話器を受け取った。

 母は、ひととおりの新年の挨拶と、東京の自宅の様子を簡単に話した後、
「このお正月は帰って来られるんでしょ?」
と半分強制的な威圧感をもって切り出した。そうなのだ。去年は正月もゴールデンウィークもお盆にも帰らなかった。帰ったのは、梅雨時に僕の必要な物を取りに行った一度だけだった。しかも、僕一人で。
 僕は内科医で年末に当番をしたから、この三が日は呼び出しがなければ休みだ。帰ろうと思えば帰ることができる。しかし、真理子は絶対にいやがるだろう。それで、後でまた連絡するからとか何とか言って、その場は切ろうとした。すると、最後に母が言った。
「ねえ、またあの人から手紙来てるんだけど、どうする?」
 僕は、ああ、やっぱりと思った。
「わかった。今日行くよ。夜になると思うけど。」そう言って、電話を切った。

 電話を聞いていた真理子は僕が受話器を置くなりヒステリックに叫んだ。
「ねえ、行くの?あなたの実家に?私、行かないわよ。それじゃなくても、今年は年末年始に海外に行けなかったのよ。行くなら、世田谷に寄っていって。私、今晩は世田谷に泊まるから。」
 そう、彼女がこの田舎で見つけ出した唯一の楽しみは、車で行くと案外近い成田空港から海外へ飛ぶことだった。僕の休みがそうそうは取れないことがわかると、義母や友人と、ハワイだグアムだバリだパリだと、パスポート片手に大きなスーツケースを彼女の真っ赤なアウディに乗せてしばらくどこかへ消えてしまうのだった。
 今は真理子のイライラした金切り声と乱暴な振舞よりも、もっと気になることがあった。
 カーテンを開けてみると、やはり曇り空で、外は寒そうだ。僕は顔を洗い、歯を磨き、いつもより丁寧にひげを剃り(義母が身なりにうるさいからだ)、実家に行くだけなら絶対着ないであろうポール・スミスのシャツとネクタイ、ジャケットを着込んで、アウディのエンジンを温め始めた。僕のカローラに乗るのを彼女はとても嫌がった。付き合い始めた頃、僕が乗っているのがカローラだと知った時の彼女の顔を思い出しただけで噴出しそうだ。僕が初めて自分の給料で買った丈夫な車だ。彼女はまだ文句を言ってはいたが、丹念に化粧を始めた。(続)


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