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十通の手紙 1 [ゴールデンブログアワードノベル]


第1章  <1>

 まだ眠いのに、寒さで目が覚めた。ふと、カーテン越しに外の天気の様子をうかがう。
隣で、真理子が寝返りを打った。
「ねえ、初日の出は見られたのかしら?」
僕は毛布をかけなおしながら言う。「そんなこと言って、どうせ見る気もなかったくせに。」
真理子は声をたてて笑いながら僕のベッドに潜りこんできた。まだ夕べのワインの匂いがする。

 真理子は良く言えばお嬢さん育ち、悪く言えば世間知らず・・・というよりも自己中心的な人間だ。それはサッパリとしたもので、気持ちが良い程だ。
 自分の思うこと、したいことをズバッと答え、大抵はその通りになるのが我々のルールだった。彼女がディレクターであり、僕はプレイヤー。
 結婚して2年になる。僕の父の友人である会社社長の娘だ。彼女の実家もそれほど大きな会社ではないにしろ、まだぺいぺいの勤務医である僕の給料だけで数々のブランド物を買えるはずもない。義母と一緒に買い物に行って手に入れてくるのだろう。
 初めて彼女に会ったのは両家の親達がセッティングした目白台にある瀟洒なホテルのロビーだった。そのホテルのインテリアもきらびやかだったが、その日の彼女も確かに輝いていた。何一つ曇りの無い人生を送ってきた、ということが彼女の周りの空気から感じられた。
 そういう僕も小規模の建設会社ではあるが、父が一代で築き上げた会社の1人息子であり、記憶の中に「生活苦」という言葉はない。それにしても、よく「医者になりたい」と言った時、許してくれたものだと思う。父も父なりに思うところがあったのだろう。父はいまだ現役でがんばっている。
 そんな僕らは、両家の母と共にきらびやかなホテルのラウンジで都内屈指の庭園を眺めながらアフタヌーンティーをした。母たちが一足先に帰った後、庭園を自分のペースで歩く彼女の「どう?私、いい女でしょ」という一言で、そしてそれを否定しなかった僕の投げやりな優柔不断さで、結婚へのスタートは簡単にきられたのだった。
 半年後我々は、同じホテルで豪華絢爛な結婚式をし、スィートルームで友人達とシャンパンをあけて楽しんだ翌日、モルジブへとハネムーンに出かけた。

<2>

 僕達の新しい生活は、僕の勤務地の関係で茨城のある街でスタートした。当時、このあたりにはまだ広いマンションはなく、結局両家が用意した一戸建てに住むことになった。
「なーんにもないところなのね」
 新築の棟上式の日、ようやく現地に来る気になった、というよりも実母にたしなめられて来ざるを得なかった真理子は、つまらなそうに言った。
 世田谷の、自由が丘に歩いても行けるような便利で豪邸が立ち並ぶ住宅地に住んでいた彼女にとってみれば、ここは自分に必要なものが何一つ無い場所に思えたのだろう。もちろん、その中には僕も入っている。
 真理子には、今までもいろんな「良い」話があったのだろう。しかし、真理子のわがままときついものの言い方、自分のことを何よりも第一に考えるその性格が、多くの正しい判断をした男性達から人を介して「やんわりと」拒絶されてきた。そして、順番は父同士が個人的に仲の良かった僕のところに回ってきたわけだ。
 しかし、その時点で真理子は多分、優柔不断な僕にとって必要な存在だった。その頃の僕には付き合っていた女性が常にいた。古くは高校時代から、大学時代、インターン時代、そして勤務医にな
ってからも、時にはクロスして付き合っている女の子たちが僕のそばに、あるいは少し離れたところ
に居た。
 みんな、いい子だった。相手がしびれを切らして離れていくまで、僕は一度付き合い始めた子を自分から「別れよう」と言ったことは無かった。よく考えてみれば、ある意味で真理子と僕は似たもの同士なのかもしれない。
 真理子と結婚することになって、さすがにその時付き合っていたと自分なりに認識のあった女性には、そのことを何らかの形で伝えた。少しはごたごたしたけれど、多くの女性たちは、かえって良いきっかけができた、というようなさっぱりとした顔をして離れていった。

 そんな昔のことをまどろみながら考えていると、電話が鳴った。電話は真理子のほうが近い。
 取って、一言、二言話すなり、僕に受話器を渡す。
「お義母さんから。」
 僕は、きっとあのことだ、と思いながら少し憂鬱な気持ちで受話器を受け取った。

 母は、ひととおりの新年の挨拶と、東京の自宅の様子を簡単に話した後、
「このお正月は帰って来られるんでしょ?」
と半分強制的な威圧感をもって切り出した。そうなのだ。去年は正月もゴールデンウィークもお盆にも帰らなかった。帰ったのは、梅雨時に僕の必要な物を取りに行った一度だけだった。しかも、僕一人で。
 僕は内科医で年末に当番をしたから、この三が日は呼び出しがなければ休みだ。帰ろうと思えば帰ることができる。しかし、真理子は絶対にいやがるだろう。それで、後でまた連絡するからとか何とか言って、その場は切ろうとした。すると、最後に母が言った。
「ねえ、またあの人から手紙来てるんだけど、どうする?」
 僕は、ああ、やっぱりと思った。
「わかった。今日行くよ。夜になると思うけど。」そう言って、電話を切った。

 電話を聞いていた真理子は僕が受話器を置くなりヒステリックに叫んだ。
「ねえ、行くの?あなたの実家に?私、行かないわよ。それじゃなくても、今年は年末年始に海外に行けなかったのよ。行くなら、世田谷に寄っていって。私、今晩は世田谷に泊まるから。」
 そう、彼女がこの田舎で見つけ出した唯一の楽しみは、車で行くと案外近い成田空港から海外へ飛ぶことだった。僕の休みがそうそうは取れないことがわかると、義母や友人と、ハワイだグアムだバリだパリだと、パスポート片手に大きなスーツケースを彼女の真っ赤なアウディに乗せてしばらくどこかへ消えてしまうのだった。
 今は真理子のイライラした金切り声と乱暴な振舞よりも、もっと気になることがあった。
 カーテンを開けてみると、やはり曇り空で、外は寒そうだ。僕は顔を洗い、歯を磨き、いつもより丁寧にひげを剃り(義母が身なりにうるさいからだ)、実家に行くだけなら絶対着ないであろうポール・スミスのシャツとネクタイ、ジャケットを着込んで、アウディのエンジンを温め始めた。僕のカローラに乗るのを彼女はとても嫌がった。付き合い始めた頃、僕が乗っているのがカローラだと知った時の彼女の顔を思い出しただけで噴出しそうだ。僕が初めて自分の給料で買った丈夫な車だ。彼女はまだ文句を言ってはいたが、丹念に化粧を始めた。(続)


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