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十通の手紙 2 [ゴールデンブログアワードノベル]


第1章 <3>

 彼女の実家では、案外早く解放された。結局のところ、婿の必要性はなく、婿がいるという事実が重要なのだ。
 明日、彼女のお好みの時間に迎えに来る、つまり電話をするからその時迎えに来い、という約束になった。真っ赤なアウディに僕一人が乗ると、何故かアンバランスで落ち着かない。世田谷から
武蔵野のはずれにある僕の実家までの幹線道路は、寒いせいか、元旦のわりに混んでいた。
 それでも、なんとなく一人になった開放感が気楽でもある。

 実家につくと、もう真っ暗になっていた。
 車を庭の空いたスペースに止めようとしたら、母が出てきた。
「やっぱり真理子さんは来なかったわね。お父さんと、賭けしてたの。私の勝ちだわ。」
 つまらないことを賭け事にする両親だ。結果はわかっているじゃないか。
「母さん、それで何を賭けたのさ?」
 母は車から降りた僕の肩に、上着をかけるのを手伝ってくれながら笑い出した。
「お父さんには少し休んでもらって、箱根の強羅花壇に連れて行ってもらいます。」
 仕事一筋の父にとって、高級旅館に連れて行くことよりも、休みを取ることのほうが難しいに
違いない。
「で、母さんが負けたら?」と思わず聞いた。
 母はちょっと意地悪な目をして、「それはないでしょ」と言い、ドアを開けてくれた。

 居間に入ると、暖気とともに、おせち料理に特有の甘しょっぱい香りが僕を包んだ。久々の
「一家団欒」という感じだ。僕は一人っ子だから、まさにこれが基本スタイルだったわけだ。
 結婚しても実家のスタイルの方に安心してしまうのは、まだ結婚して二年目だからなのか、
それとも「僕と真理子」だからなのか。それは僕にもわからない。
 父は、僕と顔を合わせると「おう」と言い、酒でも取りに行ったのだろう、別室に姿を消した。
 その隙に、母はさっとその部屋の隅にある引き出しを開け、白い封筒を取り出した。
「いったい、どうなっているの?この人とは。」母は声をひそめて僕に封筒を渡した。
 僕は、見慣れた白い封書に書かれた僕の名前の筆跡をじっと見つめた。

第2章 <1>

 見なくてもわかるこの封筒の差出人、理沙との出会いは十数年前に遡る。
 僕は高校二年生、彼女は一年生だった。学校も女子高と男子高だったのに、何故出会ったのか
というと、僕の悪友の彼女が、理沙と同じ学校にいたからだ。
 トリプルデートしようぜ、という悪友の提案に、男子高生の僕に異論はなかった。その時に付き合っていた女の子は居なかったし。
 悪友と、僕と、同じクラスのもう一人との三人で渋谷の109の前で待ち合わせた。相手の三人のうち、顔がわかっているのは悪友の彼女だけだ。一学期の試験も終わり、もはや夏休みを待つばかり。しかもそこは渋谷の当時ハチ公に次ぐ待ち合わせのメッカだ。熱い日差しの中、僕らはだらだらとしながら、横断歩道を渡ってくる女の子たちを眺めていた。
 その中に、お化粧バッチリ、髪も流した感じにパーマをかけて、高校生にしてはちょっと大人っぽいDCブランドに身を包んだ二人と、もう一人渋谷には似つかわしくない地味そうな子、という三人組が僕らのほうに真っ直ぐ向かってきた。
 悪友が手を振ると、上から下までブランドでまとめたイマドキの子が手を振り返した。この子が悪友の彼女のさっちゃんだ。さっちゃんは、同じ女子高の同じ学年で同じクラスの友達を連れてきた。
「理沙ちゃんは地味だけど、いい子だから。やさしいヒトにお願いしま~す!」とさっちゃんは甘えた声で言った。その、一人浮いているおとなしそうな子が理沙だった。

 別にやさしくはないけれど、乱暴でもない僕が結局理沙とペアを組む形になった。デートって言っても別になんてことはない。ちょっと大人っぽい映画を見て、話題の喫茶店で流行のパフェを食べるくらいのものだ。悪友とさっちゃんは腕を絡ませている。もう一組もいい感じになっている。僕らは―。
 僕らは、ずっと黙って一緒に歩いているだけだった。理沙は髪が肩より少し長いストレートで、
今で言う長めのボブカットだった。襟元だけレースになっている白い綿のブラウスに、緑と青の
チェックのボックススカートをはいていた。うつむいている顔を見ると、化粧のかけらもない。
 ただ、くちびるだけ、うっすらピンク色だった。口紅ではなくリップクリームに色が着いているタイプだ。
 僕は少し気をきかせたつもりで、趣味とか、好きな音楽とか、そんなことを聞いてみたけれど、
たいてい一問一答で終わった。
 そもそも僕は、自分からしゃべるのは苦手なほうだ。だから、トリプルデートなんかを率先してセッティングしてくれるような、マメでパワフルな友人がいるのは悪くはなかった。たまには僕だって、高校生らしいセイシュンも体験したい。ただその友人は、たまに僕が考えもしないズル賢い一面を見せるときもあって、なんとなく親友というよりはクサレ縁の悪友、という付き合いだった。

 夏の夕日もさすがに落ちてきた頃、あとの四人はその頃流行っていた六本木のディスコに行くと
いう。どうする?と聞いた僕に、理沙は初めて僕の顔を見て「ごめんなさい、私、行かない。」と
言い、駅へと走り始めた。
 僕は、なんとなく放っておけず、四人に目配せをして理沙を追いかけた。渋谷駅前のスクランブル交差点の中で、見失わないよう白いブラウスを目で追ったけれど、交差点を渡りきったところで
とうとうはぐれてしまった。
 そのままでいいじゃないか、とも思った。でも、何だかそのままにはできないような気持ちが
僕の心を後ろから押すようにもう一度走らせた。彼女が一問一答の中で「新宿で乗り換えるんです」と言っていた自宅への道のりを思い出し、初乗りの切符を買って、山手線の新宿方面のホームに駆け上がった。

 ホームの売店の隅っこに隠れるように、疲れきった彼女がぽつんと立っていた。
 一人離れて見ると、彼女はきれいな子だった。この時間に家に帰ろうとすることは、この齢の
女の子には本当は正しい選択なのだ。僕は、この子はきっと心もきれいな子なんだろうと思った。
そして、その思いが僕を彼女へと自然に導いていった。

 ホームで彼女の目の前に立ち、その手を取った僕を見たときの、彼女の神聖な表情を今も忘れられない。
 その後、何人かのいろんな女の子と付き合ったけれど、あの時の理沙の顔だけは忘れられないのだ。なぜなら、彼女の顔が、「私を見つけてくれた」と無言のうちに僕に答えてくれていたからだ。そして、僕の心も「ああ、見つけたんだ」と心の中でつぶやいていた。

 その日、僕は彼女を自宅の最寄駅まで送っていった。彼女は最初、僕の自宅からかなり離れて
しまうので新宿まででいい、と遠慮したが、僕のほうが行きたいと言った。彼女は驚いたような顔をしていたが、やがてとてもうれしそうに、そして安心したように笑った。
 その日、初めて見た笑顔だった。
 
 電車の中で、僕は恥ずかしがってなかなかしゃべろうとしない彼女のことを知りたくて、
いろんなことを聞いてみた。答えてくれることもあれば、恥ずかしそうに笑うだけのときもあった。
「誰かと付き合ってるの?」と僕が聞いたとき、理沙はびっくりしたような顔をした。
「それなら、今、あなたと一緒にいません。だって、一人の人しか好きになれません。」
 理沙は、自分がどんなに大切なことを告白したのか、気づいていなかった。(続)


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武田のおじさん

大人の小説って感じですね。おじさんは小市民なので、上流層のことは皆目わかりませんが、「テレビ・ドラマ」になりそうな雰囲気がします。
続きを楽しみにしています。
by 武田のおじさん (2006-01-23 00:20) 

ニライカナイ店主

武田さんへ>
ナイス&コメント&読んでくださってありがとうございます。
多分、そんなに上流チックには最終的に流れていかないと
自分では思っているのですが。
もし、お時間があれば続きも読んでご意見くださいね。
by ニライカナイ店主 (2006-01-23 11:19) 

はりなたる

こんばんは。やった〜♪始まった〜(^^)と小躍りしちゃいました☆
本の紹介でも思っていたんですが、やっぱり言葉の使い方がとても素敵です。私とは違う「手紙」の使い方に、これからの展開がますます楽しみです。
やっぱりうまい人は段違いにうまいなぁ。。。(^^)もっと本を読んで引き出しを増やしたくなりました(^^)
by はりなたる (2006-01-23 17:46) 

ニライカナイ店主

はりなたるさんへ>
そうなんです、全く違った意味ですが、重要な小道具として手紙が出てくる
話になりました。最初は英語のタイトルを思い浮かんだのですが、
少し考えて日本語でなるべく表現してみようと思いました。
でも、ちょっと自分の青春時代とずれるので、実は細かい部分で
不安なところがあり、心配なんですよ・・・(汗)。
by ニライカナイ店主 (2006-01-23 22:57) 

ニライカナイ店主

naotoさんへ>
ナイスありがとうございます。
朝方、ブログのほうにお邪魔させていただきました。
また時間があったらお訪ね下さい。
by ニライカナイ店主 (2006-01-23 22:58) 

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