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本当に立ち直るということとは「繋がれた明日」真保裕一 [人生や物事について考えたいときに]


「繋がれた明日」 真保裕一 2003年初版 朝日新聞社

真保氏の作品は、「連鎖」、「ホワイトアウト」、「奪取」、「ダイスをころがせ」等、何作か読んできた。
氏の作品は、ある時期からいわゆるミステリーという枠からはみ出し、大きく広がってきたと思う。

私がそれをまず感じたのは「奇跡の人」であった。
「奇跡の人」の主人公は、30すぎで事故による脳死から生還したものの、事故以前の記憶を
全く失ったままだ。長年のリハビリを終えた彼は、自分を取り戻す旅に出るのだが・・・という内容。
今までのハードでスピード感のある真保氏のミステリーとはひと味もふた味も違う、と思った。
ある意味で、ミステリーよりも、「人」そのものの謎に迫ろうとしているのではないか。

そして、この「繋がれた明日」。
まさに、その新しい路線を最後まで深く掘り下げた作品であった。

簡単にあらすじを述べると、19歳の時、自分の彼女にちょっかいを出す男を刺殺させてしまった
主人公が、少年刑務所を出てからどのような日々を送ることになるのか、という物語だ。

彼は、たまたま護身用にナイフを持ち歩いていたが、相手が殴りかかってきたため、身の危険を
感じてついナイフを手にしていまう。しかし、唯一の目撃者として名乗り出た刺された男の友人は、
主人公が先に手を出した、と証言する。

主人公は、人を殺したということに対して悔いる気持ちの前に、自分を誰も信じてくれなかった
という事実に大きく心の中を塞がれている。そのことで、人を信じることができなくなっている。

仮釈放された主人公は、すばらしい人間性を持つ保護司と、戸惑いながらも息子を迎えようと
する母と妹、保護司に協力的な解体工事をする会社の社長たちに見守られ、なんとか社会復帰を
しようとするが・・・・。

人を殺してしまったということ、しかし、その殺した相手と自分は「紙一重」で立場が違っていた
だけだという思い、地獄の底からの怨念で呪うように、自分や自分の家族を落としいれようとする
見えない存在。

誰かを信じたい、まっとうに生きたい、殺してしまったことを後悔できる自分になるのだろうか、
家族にこれ以上迷惑をかけたくない・・・。
主人公の叫びが読むものに共鳴する。

主人公一家が執拗に社会的に抹殺されようとしている場面で、こんな会話がある。

「たとえかすり傷でも、見た目には証拠が残る。・・・だけど、心の被害は、その本人にしか
傷の具合はわからない」

これは、主人公をなんとか更正させようと体を張る老保護司の言葉である。
この言葉はこの場面では、主人公やその家族に向けたものでもあるが、あるいは被害者の
残された関係者に対する言葉でもあるのだ。

この物語では、主人公は加害者でもあり、被害者ともなる。
その中で、「哀しみを一人で受け止めるのは、苦しく、辛い。人を恨み続けることで、怒りを放つこと
で、少しでも心の負担を小さくしたいと誰もが思う。」ということを悟り、しかし、それでは何も解決
せず、何も変えていくことはできないとわかるまでに成長するのだ。
心も、体もぼろぼろになりながら。

この作品は、もうこれ以上主人公は立ち上がれまい、と何度も読者を奈落の底に突き落としながらも、何人かの心ある人の支えと、主人公の成長によって、明るい未来が暗いトンネルの向こうに
はっきりと見えてくることを最後に示してくれる。

やはり、人を描く物語は、こうした終末であってほしい。

<Amazon.co.jp へのリンク>
※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

繋がれた明日

繋がれた明日

  • 作者: 真保 裕一
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2006/02/07
  • メディア: 文庫


奇跡の人

奇跡の人

  • 作者: 真保 裕一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/01
  • メディア: 文庫


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武田のおじさん

自分がした事を認めるのは簡単だが、事実でない事を言われるのはショックですよね。今までも、今でもそんな事が山ほどあります。
そうすると、だんだん人を信じるのが嫌になります。
冤罪的なものは、誰かを憎むわけにもいかず、ただ自分の不運を嘆くばかりです。事実を言い訳に聞かれてしまうほど辛い事はありません。
真実は我にありと息巻いても限界があります。
by 武田のおじさん (2006-03-12 13:15) 

ニライカナイ店主

武田さんへ>
いつもナイスとご来店、コメント、ありがとうございます。励みになります。
この作品は、最初は「自分は悪くない」という主人公の強い気持ちがあります。
しかし、途中でどんな人間であれ、殺された側の関係者がどんな気持ちなのか、被害者(とその関係者)がどんな気持ちなのか、ということを逆の立場になることで身をもって感じるようになるのです。その時、初めて「申し訳なかった」という気持ちが芽生えます。それを支えたここで登場する保護司には、本当に頭が下がる思いです。こういう人が一人でも多くいてくれれば、過ちを犯しても本当の更正に繋がる道、そして被害者が相手を憎みつつも生きていく道が開けていくのか、と読後に感じました。
ここに登場する保護司、そして職場の社長のような人たちが現実社会にいてほしいし、自分も含め、それだけの人間へと少しでも目指して生きて行きたいものです。
by ニライカナイ店主 (2006-03-12 14:04) 

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