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苛めの本質を描く「きみの友だち」重松清 [人生や物事について考えたいときに]


「きみのともだち」 重松清 新潮社 2005年

重松氏の子どもを見る目は案外クールだ。

それは、同じ目線に今も立つことができるからだと思う。
もちろん、取材も十分しているのだろうが、
子どもなら・・という予定調和はどこにもみられない。

予定調和がない、といえばあさのあつこ氏の「バッテリー」でも
あさの氏がそれを排した、と書いていたのを思い出す。

重松氏のこの作品も、それに近いものがある。

この作品には、小学生から中学生まで、何人かの少年、少女たちが主人公として
「きみ」、と語り手から呼ばれることになる。
これは、最初から誰かその書き手とはある程度距離のある
他者から見た「きみ」たちの話なのである。

話の内容は、いじめであったり、小・中学生のクラス内やクラブでの人間関係だ。
どんな話も私も児童・学生の時代にもあったことばかりだ。
しかし、それを掘り下げて、個々の子どもの心理を描く力はさすがだといえる。

今、「いじめ問題」がマスコミや国、教育の場で話題にされているが、
こういったことは昔からあったのである。

だからそれをそのままにしてよい、ということではない。
誰もいやな思いでは忘れたいから、
あえてその事実をあからさまにしてこなかっただけなのだ。

あからさまな、あるいは先生や大人たちにわからないように行われている
仲間はずれや陰口、いじめは
いろいろなやり方でターゲットを常に探しながら行われている。

言葉は、言った者にとってはその場で消えてしまうなんでもない一言でも、
言われた側には大きな傷を与え、その心は傷口から血がしたたるような思いで
日々をしのぐことになる。

そのターゲットは必ずしも固定してるわけではない。
だから絶対に気を許すことはできない。
今の子どもたちのストレスは勉強や受験だけではないのだ。

私がこの作品の中でキーワードになると感じたのは
「みんな」という言葉である。

ある少女の物語の中で、「みんなぼっち」という言葉が出てくる。
自分は「みんな」の中に今いられているのか?常に気にしている。
でも、あるとき気が付くのだ。
「みんなぼっち」は「ひとりぼっち」よりもさびしいと。

「だって、友だちじゃん」という言葉。

友だち、ってなんだろう、と私も中学生時代よく考えた。
どこまでの付き合いが友だちなのか。
どこにいくのも一緒なのが友だちなのか。
お互いを理解しあっていることが友だちなのか。

それなら、どこまで他人を理解できるのか。

思えば、私もいやな中学生だったのかもしれない。
それよりもエゴ丸出しだった小学生時代も
人間関係は今よりも難しかったような気さえするのだ。
それは、逃げ場がないから。

クラスという固定した枠の中で、自分がどの位置にいるかによって、
その居心地は天と地の差がある。
そんなことをこの作品を読んで思い出した。

何章かから成るこの作品も、最後の一章はおまけのような感じもぬぐえないのだが、
大人になってしまえば今の苦しみもこんな風になんでもないことのように乗り越えて
微笑み合うことができるんだよ、ということを
読者の子どもたちに語りかけているのかもしれない。

逆に、少年・少女たちには、周りにいる親を含めた大人たちもかつて
子ども時代に同じように人間関係で悩み、仲間はずれにされ、
あるいは孤立しても自己を守り続けていたのだ、と受け止め、
周りの大人にそれを尋ね、聞いて欲しいと思う。
それが救いの脱出口を示してくれることもあるだろう。

そうしなければ、最後にこの作品の構成のたねあかしをする章は
本来完成しないのかもしれない、と考えるのである。

しかし、実際には大人になっても決していじめが現実としてなくなることがないことは
大人たちはみんな知っている。
だからこそ、それを乗り越える力を子どもたちに伝え、大人として示していきたいと思う。
しかし、弱って立ち向かえない時にはうまくかわし、やり過ごす術を、
さらに、どうしようもなければ自分を守るために逃げ出したっていいじゃないか、と
個人的には感じるのである。

自分の命と心が一番大切なのだから。

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※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

きみの友だち

きみの友だち

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/10/20
  • メディア: 単行本


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コメント 4

おはなし村ゆめ

こんにちは。久しぶりです。
こないだ、石田衣良さんの「うつくしい子ども」を読んで、
今、長野まゆみさんの作品いろいろ読んで、頭の中は、
13歳から15歳の少年少女の気分でいっぱいです。
この作品よんでみたいと思いました。
by おはなし村ゆめ (2007-02-13 02:58) 

歩林

言葉は、言った者にとってはその場で消えてしまうなんでもない一言でも、
言われた側には大きな傷を与え、その心は傷口から血がしたたるような思いで日々をしのぐことになる・・・本当にそうですね。
もう何年もたったのにふと思い出して、いたたまれなくなることがあります。
逆に私もそんな言葉をきっと誰かに言って生きてきたんだと思うけど。。
この作品よんでみます。
by 歩林 (2007-02-13 18:53) 

トム

弱って立ち向かえないときは逃げ出したっていい
確かにそのとおりだと思います。
本当はそんな状況が出来ないのが一番いいのですが。
by トム (2007-02-14 06:36) 

ニライカナイ店主

みなさん、ご来店ありがとうございます。
店主、少々ここのところ雑事がかさみまして、皆様のところに
うかがえず残念な思いをしております。ご無沙汰しますことを
お許しください。
このブック・カフェは細々ながらいつでも皆様のお越しをお待ちして
おりますので、お気軽にお訪ねください。

おはなし村*ゆめさんへ>
ナイスありがとうございます。この作品は学校の現状を物語形式ながら
かなりリアルにとらえていると思います。辛い部分もあるのですが、
これが現実だと思います。執筆活動はいかがですか?時間ができたら
ぜひうかがいたいと思います。

歩林さんへ>
ナイスありがとうございます。歩林さんのおっしゃるとおり、言った側は
なんてことなとない一言でも、言われた側はナイフで突き刺されたように
いつまでもその傷が残ってしまうことがある・・・だから言葉は大切で
あるとともに怖いものでもあると思います。その逆に、「あの一言で
すくわれた」ということもある・・・言葉とは本当に不思議なものだと、
そして大切に使わねば、と私も自戒しているところです。

ホシさんへ>
いつもご来店ありがとうございます。本当にそう思います。
一番安心できる家庭や学校でさえ辛い思いをしている子どもがいる・・・
それは昔もあったことかもしれませんが、今はそんな子に声をかける
仲間や先生、大人にさえ余裕がないのかもしれません。
逃げても、いつかは自分の道を探すために歩き出さなければ
ならないけれど、そういう手もあるのだ、と追い詰められている子には
知っていてほしいと思います。もちろん、大人にも・・・。
by ニライカナイ店主 (2007-02-15 19:05) 

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