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十通の手紙 3 [ゴールデンブログアワードノベル]


第2章 <2>

 僕らは、土曜日の授業が終わると新宿で待ち合わせするようになった。
便利なことに、二人とも私服の学校だったので、学校の連中にはもちろん、人の目を
気にすることも無かった。

 彼女は映画が好きだったし、僕は音楽が好きだった。彼女の好きな映画を一緒に見て、
僕が好きなバンドのコンサートに一緒に行った。彼女の読んだ本の話を聞いたり(僕は読書が
苦手だった)、僕が得意で彼女が苦手だった数学を教えたりした。
 そんな風にして、僕らは多くの土曜日を重ね、時間を重ねた。

 それでも、僕らは手をつなぐだけで、それ以上のことはしなかった。
 彼女の清潔な陰りのない笑顔と、澄んだ目。僕は、今はそれだけで十分だと思っていた。
 彼女の悲しむ顔や拒絶する姿は絶対に見たくなかったのだ。

 やがて、僕は受験生となり、父と何度か話し合いを重ねた結果、医者になる道に進むべく、
医大を受けることになった。
 もちろん、今通っている高校も進学校といわれる学校だが、そこの授業だけでは足りず、
土日に予備校にも通うようになり、彼女に会う時間をつくることも難しくなった。
 そんな時理沙は、日曜日に予備校の始まる時間に合わせて新宿に現れ、一日中授業を受ける
僕のために弁当やサンドイッチを作ってきてくれた。新宿の駅でJRの改札越しに昼食の包みを僕に
渡し、一瞬手が触れ合う。そのぬくもりとやさしい笑顔だけを残して帰っていくのだった。
 改札越しに振り替えると、いつまでも手を振っている理沙が小さく見えて少し哀しかった。

 その年は夏休みも、クリスマスも、正月もなかった。ただ、季節だけが流れていき、電話で聴く
理沙の声と、つかの間に顔を合わせるときの笑顔が支えだった。モノクロムな季節の中で、
理沙に関わるほんの小さな場所だけが、ほの明るく照らされ、僕を温めた。

 東京も雪がちらつき始め、とうとう、受験が始まった。
 理沙には、たまに電話をすることがあったけれど、決して理沙の方からかけてくることは無かった。

 受験の直前に、少し大きめの封筒が送られてきた。母は余り面白くない顔をして僕に渡した。
「受験の神様の一番は東京では亀戸天神だとは思いましたが、あなたの第一志望校に一番近い
天神様のお守りを同封します。本当は直接お渡ししたいけれど、寒いから外には余り出ないほうが
いいと思い、郵送します。体にだけは気をつけてくださいね。いつでもあなたのことを思っています。  理沙 」
 そのお守りは袋に入れられ、さらにブルーの手編みのマフラーに包まれていた。
 僕はそのお守りをシャツの胸のポケットに入れ、理沙が編んだマフラーを巻きつけて受験校へと
乗り込んでいった。

<3>

 理沙のお守りが効いたのか、少しは努力が実ったのか、僕は第一志望の医大に合格することが
できた。模試ではいつもギリギリのラインだったにもかかわらず。
 合格発表の日、家よりもまず理沙に電話した。理沙は、電話の向こうで泣いているようだった。
 こうして、僕は医大生となることができた。

 春が来て、今度は一つ下の理沙が受験生となった。
 彼女は文系だったけれど、彼女が目指した国立大は数学も必須だったので、僕は週に一度
数学を彼女に教えることにした。
 それでは申し訳ない、という彼女を説得するために、文学少女の彼女に教養課程の文化史の
レポートを書いてもらったこともあった。
「なんでそんなに軽々とかけるのかなあ?不思議だよなあ。」と僕が言う。
「あら、私はどうしたらこんな数式がぱっと思い出せるのかが不思議だわ。」
 理沙はずいぶん明るく僕にいろんなことを話し、いろんな表情を見せてくれるようになった。相変わ
らず、彼女はきらきらして、きれいだった。純粋で、あざとさも、わがままさも、欠片すら感じられなか
った。なにかと積極的な同じ大学の看護学専攻の女の子たちとは何かが根本から違っていた。
 それはもちろん、理沙にそうあってほしい、という僕の心の投影もあったかもしれないけれど。

 医大に入ってからの授業はハードだったが、まだ教養課程の頃は余裕があって、看護学専攻の
子たちとの合コンにもずいぶん誘われた。断りきれずに何度かは行ったけれど、彼女達の押しの
強さや化粧くささ、香水のきつさに辟易した。とにかく、誰彼となく、僕に「ちょっと付き合わない?」
って言ってくるような感じさえした。それは妄想だと思っていたけれど、同級生たちによれば、「そり
ゃ、将来医者と結婚できるかもしれないチャンスでしょ?」という話だった。もちろん、真面目な子が
ほとんどだったんだろうけれど・・・。

 理沙にとってその一年は受験勉強中心の一年ではあったけれど、数学を教えるという建前(もちろ
ん実もある)で、数週間に一度は顔を合わせることができた。彼女は、本当は理系に行って生物を
やりたいという気持ちもあったようだが、彼女のネックは数学だった。生物や化学が比較的いい線
いっていただけに、彼女も悩んでいた。でも、彼女は家の都合で浪人もできないし、できれば授業料
の安い国立に入りたいと考えていた。家の経済状態を考えて進路を当然のことのように変えようと
する理沙は、僕なんかよりずっと大人だと思った。

 再び冬がやってきて、理沙にも受験の季節が始まった。

 理沙は第一志望の国立大には落ちたけれど、あとの私立はすべて合格した。その中の二つで
どちらに行くかかなり悩んでいたようだが、「多くの人と出会いたいから」と学生数の多い六大学の
一つに行くと決めた。でも、その大学の方がもう一方よりも授業料が比較にならないほど安かった
ことが、彼女の判断に大きな意味を持っていたのだと僕は感じていた。

 その時、僕はその後何が起こるかなんて少しも考えていなかった。理沙が進もうとしている大学に
あいつが行っていることさえ、すっかり忘れていた。ただ、理沙が希望に近い大学に入学が決まった
ことがうれしくて、一緒に素直に喜んでいた。これからは会える時間も増えるね、と電話で話し、
翌日久しぶりにデートする約束をした。(続)


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