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十通の手紙 5 [ゴールデンブログアワードノベル]


第2章 <5>

 再び春になった。
僕は医大の二年生になり、理沙は大学一年生として新宿に近いマンモス大学の文学部に入学
した。
 僕は、少しずつ医学部らしい授業も出てきたものの、まだ医大生であることを実感することは少な
かった。解剖学や臨床学もまだ理論的な段階だった。ただ、実習が始まると結構ショックを受けると
いう話も聞く。そんな話を先輩から聞きながら、そんなもんだろうかとぼんやり考えていた。医者にな
るのだから、実習があるのは当たり前で、そうでなければ患者を診られないじゃないか、と。
 実際に目の当たりするまでは、そんなのん気な気持ちでいた。

 理沙の専攻は一年生の時の成績で決まるので、目指す社会学専攻に進めるよう、少し真面目
すぎるんじゃないかと思うほど真剣に授業に出席し、勉強していた。一年目でそんなに取らなくて
も、というほど必須科目を組み合わせ、教員と司書資格を取るための授業まで取っていた。司書は
本の好きな理沙だからわかるにしても、なぜ教員免許まで取るのかわからなかった。

「先生になるかもしれないの?」と僕が聞く。
「いつ、何が必要になるかわからないでしょ。」と理沙。
 僕らはいつも、お互いの授業が早く終わる木曜日と土曜日の夕方に新宿で会うことが多かった。
なじみの喫茶店の二階で、僕らはお茶を飲みながら話し始めてもう一時間がたっていた。
「将来、先生になりたいって思うかもしれないし・・・。私、本当はね、恥ずかしいけれど何かになりた
いっていう具体的なイメージが今ないの。」
 紅茶党の理沙は、コーヒーは飲めなかった。冷めてしまった紅茶の残りを砂糖も入っていないのに
スプーンでかき混ぜながら言った。
「あなたはもう、お医者さんになるって決めているんだものね、すごいわよ。」
 僕は、確かに進路を考えて受験をしたわけだし、父の小さな建設会社を継ぐよりも、医者になる
ほうが自分には向いているような気がしたし、何故か自由になれるような気がした。それが、何から
の自由なのかはうまく説明できなかったけれど。
「理沙だって、頭がいいし、大学も一流なんだ。ゆっくり考えればいいじゃないか。」
 実際、理沙はとても頭のいい子だった。さらに気遣いもできるし、料理も、裁縫も、手芸も、楽器も
いろいろできた。僕にとって、いや、誰にとっても何一つ非の打ち所の無い女性だった。

「第2外国語はね、ドイツ語にしたの。ほとんどの人はフランス語だから、悩んだんだけれど・・・。
でも、ドイツ語はきっとこんな機会でもないと勉強できないと思って。」
 理沙はそう言ってドイツ語のテキストを見せた。つまらなそうな暗い話だという。新しい環境に慣れ
ようと懸命な理沙は、新たな学生生活を僕に一生懸命説明したいようだった。

「児童文学の研究会に入るかもしれないの。昔から子供のこととか、子供の本のことに興味があっ
たし・・・。この間部室に行ってみたら、部員は少ないけれど、みんな面白そうな人たちなのよ。」
 理沙はまだカップをスプーンでかき回していた。
「そしたらね、その部室のすぐ近くで佐伯さんに会ったの。あの人もそういえば同じ大学だったのね。
部室が近いのよ。山登りのクラブですって。」

 僕は、すっかり忘れていた。そうだ。僕のあのトリプルデートを企画した悪友、佐伯も理沙と同じ
大学に去年合格していた。
 あいつとは、卒業してからすっかり音信不通だった。もともと、反りの合わないところもあって、卒業
以来、連絡をとっていない。あの大学にあいつがいることはわかっていたが、彼は商学部で校舎が
離れているし、まさか理沙と会うようなことはないだろうと思っていた。

 何か嫌な予感がした。でも、それが何なのか、その時には想像も付かなかった。

<6>

 僕はクラブのようなものには入っていなかった。
 もともと人付き合いに自分から積極的なほうでもなかったし、同じ学年の同じ授業を取っている
仲間とたまに飲みに行くくらいだった。

 そんなある日の飲み会で、新入生の看護学専攻の女の子たちと飲む機会があった。もう、最近は
そんな合コン的な飲み会にもすっかり慣れ、適当に女の子をあしらうこともできるようになった。
 その日、隣に座った子が途中で気分が悪い、と言い出した。
「外の空気を吸えば少しよくなるかも・・・。」という彼女がふらついているので、一緒に出てやることにした。
 そこは飲み屋がいくつか入ったビルで、エレベーターで降りるとちょっとした広場のようになっていた。
「大丈夫?」僕が聞くと、急にその女の子は表情を変えた。
「あら、気づいてくれないんですかあ?私、酔ってなんかいませんよ。わざとです、わざと。」彼女は 
 僕にもたれかかってきた。
「このまま、他の店に二人で行っちゃいましょうよ。私のこと、嫌いですか?」
 ずいぶん積極的な女の子、いや、女だと思った。でも、こういうタイプの子が僕は苦手だった。
でも、そう思えば思うほど、彼女はもたれかかり、まるで僕らは抱き合っているような格好になった。

 そこへ、声をかけてきたやつがいた。
「よお、いいことしてるじゃん。他の女と抱き合ってたって、理沙ちゃんに言っちゃうぜ。」
 彼女を押しのけてみると、あの佐伯だった。
 最悪な場面での再会。
 僕は「悪いけど、こいつと飲みに行くから。」と言って、彼女を押し戻した。彼女はふくれっつらを
して、大きな声で僕をののしりながら、エレベーターに戻っていった。

「久しぶりだな。」僕は改めて佐伯に言った。
「おう。さすが医大生はもてるなあ。」と佐伯。
「飲みに来たのか?」僕が聞くと、佐伯はにらむような顔をして言った。
「バイトだよ、これから。学費を稼ぐには夜は仕事なんだよ。金持ちのぼっちゃんと俺は違うんだ。
じゃあな。今夜のことは理沙ちゃんにちゃんと報告しておくから。」

 そう言って、佐伯はビルの裏口に入っていった。その時のことが後からどんな結果を引き起こす
か、僕は全くわかっていなかった。
 とにかく、早く家に帰って、眠りたい・・・それだけが僕の頭をぐるぐるとめぐり続けていた。(続)


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