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十通の手紙 10 [ゴールデンブログアワードノベル]


第4章 <1>

 私は7階の窓から街の明かりを見ていた。

 一昨年、去年と続けて両親を病気で亡くし、兄といろんなことを整理し、今まで両親と住んでいた
家も処分することになった。兄一家は今仙台に転勤しており、しばらくそちらにいる予定だという。
私が一人で住むには手持ち無沙汰な今までの自宅は古くもなっていたし、この機会に売り払って、
二人でわずかな遺産を分け合った。
 その遺産と自分の貯金を少し取り崩し、今の中古のマンションを買った。今まで住んでいた所より
も、職場に近く便利になった。
 
 私は一人ぼっちになった。
 
 新宿に勤めているので、新宿に近くて、学生時代の友人の多くがアパートを借りていた中野の
マンションを探した。少しは土地勘のあるところの方がいいと思ったからだ。
 中古とはいっても築3年のきれいな物件がちょうど見つかった。前に住んでいたのも女性で、結婚
をするので出て行ったのだと不動産屋のおじさんが言った。
「そういう縁起のいいお部屋ですからねえ、きっとあなたも数年後にはご結婚されるかもしれません
よねえ。」
 私は愛想笑いとも苦笑いともつかない微妙な表情をしていたと思う。でも、日当たりもよく、何より
窓からの景色がよかった。このあたりにはめずらしく周りに高い建物がなく、少し離れたところには
広い公園もあった。昼は緑が、夜は新宿方面の夜景がきれいだった。駅も遠くない。

 様々な手続きに忙殺されているうちは忘れかけていた喪失感が急に心の中に押し寄せてきて、
本当に自分が一人ぼっちであることが冬の寒さと共に、しんしんと胸に押し寄せて来る。

 自分ひとりの空間、自分だけの場所。何をしても、ここにいる限りもう誰も何も言わない。カーテン
さえ閉めていれば、お風呂あがりにどんな格好をしていてもかまわない。休みの日にいつまでも
パジャマを着ていたとしても、誰も文句を言わない。
 でも、誰もお帰りとは言ってくれない。誰もおはようとは言ってくれない。風邪をひいても誰も大丈
夫かとは言ってくれない。
 それがひとり、ということなのだ。

 私は高校時代から大学に入った頃まで、付き合っている人がいた。あれは、多分、「付き合って
いる」ということだったのだ、と思う。
 ただ、少し自信がないのだ。
 確かに、私は彼をとても好きだった。ただの憧れとか、そういうことを除けば、あれが初めての恋
だったのだ。私の心は彼のことで一杯だった。もちろん、勉強もしたし、友人たちとのつきあいもそれ
なりにしていた。でも、彼と一緒にいる時が、彼のことを考える時が、一番生きている、と感じていた
のだと思う。
 ただ、彼が私のことをどう思っていたのかはわからない。勉強を教えてくれたり、二人きりで会った
り、免許を取って初めてのドライブに誘ってくれたり、多くの時間を過ごした。でも、彼は一度も私に
好きだ、と告げることはなかった。私にとって、彼が私と手をつなごうとしてくれることだけが、ささや
かな希望だった。彼が私を好きでいてくれるかもしれない、というささやかな希望。

 彼の友人達は、彼には他にも付き合っている女の子がいるらしいよと私にささやいた。
 私は信じていた。でも、何を?何を信じていたんだろうか、と今は思う。彼を?彼の言葉を?彼は
私に「愛している」とか、「好きだ」とは一度も言わなかったし、そのしぐさも見せなかった。
 でも、私は彼のまなざしが好きだった。彼が私を見るまなざし、一緒にいる時間、彼の好きなもの
たち、彼の着ているもの、彼の声。そう、私を呼ぶ彼の声が好きだった。

 でも、今はどんな声だったのかはっきりとは思い出せないのだ。あんなに好きだったのに。あんな
に聞きたい声だったのに。長い時間が様々なものを与える代りに、大切なものを奪ってもいく。

 私が今、彼について一番鮮やかに覚えているのは、彼の声でも顔でもまなざしでもない。
 一度きりのドライブの時に車でかかっていた曲、山下達郎の「メリー・ゴー・ラウンド」だ。
 
 彼は、歌詞はあんまりよく聞かないんだよ、リズムが好きなんだ、と確かあの時言った。でも、私
の耳にはまだ残っている。メリー・ゴー・ラウンド,ラウンド&ラウンド・・・。
 その曲は、真夜中の誰もいない遊園地に恋人たちが忍び込んで・・・という歌詞が付けられて
いた。あの日の私の心は、まさにその歌詞のとおりにわくわくして、どきどきして、一つフェンスを
乗り越えるような・・・そして、誰よりも好きな人と二人きりでいることの喜びで心がはちきれそう
だった。

 結局、その日は道に迷い、食事をして、山下公園で海を見て帰った。別れ際、私は彼に自宅から
少し離れた場所で車を止めてもらった。家族に気づかれたくなかったからだ。車を降りる刹那、私は
彼を見つめた。彼は疲れた顔をして、「じゃあまたね」と手を上げた。
 まだ私は高校生だったし、今こうして考えれば思い出としては悪くはない。でも、彼がそのまま車
を走らせて去っていった時、私は急に不安になった。
 うまくは説明できないけれど、彼にとって私がどんな存在なのかを私自身が知らないことに気づい
てしまったのだ。
 
 その時から、彼を思うことは苦しくて、苦しくて、哀しい思いに変わった。

 彼が私を初めてのドライブに誘ったのは何故なのか、夕闇の海を見ながら私と手をつないで何を
考えていたのか。
 そして、彼が私のことをどう思っていたのか、私にはわからなかった。
 
 私達は、ある出来事を境に会うこともなくなった。
 どちらがその時絆を切ろうとしたのかは、今となってはわからない。
 いずれにしても、もう考えても仕方のないことだ。

 その後私は、嫌いではないけれど好きとも言い切れない何人かの男の人と恋人のような関係に
なった。不思議なことにその男性達は何故か皆、山下達郎のアルバムをほとんど全部持っていた。
 こういうことってあるのかな、とその事実を知る度に私は思った。まるで、罰のようではないか。
 私はあの曲を彼らとは聴こうとしなかった。彼らの車で、あるいは部屋で音楽をかける時は、あの
曲が入っているアルバムをさりげなく隠した。

 まだ、あの人の隣に座っていたときの心のざわめきが消えていなかったからだ。
 そのざわめきを消さないで、と私の心が叫んでいた。

 ラウンド&ラウンド・・・

 やがて私は仕事にのめり込み、付き合ってきた何人かの男性達とは静かな別れを繰り返し、
気がつくと自分ひとりでいる時間を楽しめる人間になっていた。

 女性の友人は、数は少ないけれど居た。一緒にお茶をしたり、買い物をしたり、ディナーをすること
もあった。でも、ひとりでいるお気に入りのカフェ、旅先のお気に入りのホテルでひとり食べる朝食、
自分の部屋・・・いつのまにか、ひとりの時間のほうが好きな私になっていた。
 そんな時にぼおっとしながら、あの人のことをふと思い出すのだ。今、どうしているのだろうか、と。

 ラウンド&ラウンド・・・

 私はまだ、あの人のことが好きなのだと思った。(続)


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