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縦割りはこんなところにも 「少年裁判官ノオト」 [人生や物事について考えたいときに]


「少年裁判官ノオト」 井垣康弘著 2006年2月 日本評論社

タイトルや出版社からさらりと見ると、「なんだか難しそうな本だなあ」と少し及び腰になって
いたのだが、実際手にとってみると、270ページあまりのコンパクトな本である。

実は家庭裁判所というところについては、およそのシステムは知っていたのだが
(幸か不幸か実際に足を向けたことはない)、特に「少年事件」についてどのように
扱われているのか知りたくてこの本を手に取った。

読んでからわかったのだが、この本の著者井垣氏は、神戸家裁の本庁で私達にとっても
ショッキングな事件であった「少年A」の審判をした方である。

そのくだりが前半の主な内容になるのだが、通常の少年審判の流れや、
家裁の状況(他の裁判官や裁判官が判断する資料を作成する調査官)も
著者の目を通して描かれている。

少年Aの件については、事件自体は許しがたいものである。
しかし、読むにつれて、その行為がどういう構造で、あるいは彼の中に作られた
独自の「哲学」がどんなもので、どうしてそのように構築されてしまったのかがよくわかる。
著者は被害者の立場も踏まえながら、未熟な人間が起こしてしまった罪を
どう「受け止めて」「償って」いくか、というところに視点をおいている。
これは、とりもなおさず、被害者や遺族の心にも大きく影響することだからである。

あまり少年Aのことばかり特別に書くつもりはないが、どこでこの少年が躓いたのか、
どこにこの事件を防ぐチャンスがあったのか、そして社会に復帰しようとしている今、
どんな時点まで更正・成長しているのか。
多分小さいお子さんをお持ちの方を含め、不安を感じている方は多いと思う。
そういう方には、ぜひこの本を読んでほしいと思う。

それで安心するとか、そういうことは決して無いと思うが、少年Aが多くの人々の努力と支えの
結果として、「怪物」ではなく、一人の青年になっていること、これからが彼にとってのスタート
であること、更に、これからお子さんを育てることに逆に不安を持っている方へのヒントになりうる
資料となっている。

さて。
後半にも多くの具体的な例をあげて少年事件の顛末が書かれている。

しかし、家裁の一般的なシステムにはおどろいた。
まず、警察から家裁まで送致されるのに半年などかなりの時間がかかることがあるということだ。
これは、警察の取調べや、それなりの手続きが滞っていること、それだけ犯罪が多いのか、
重要案件でないなら後回しになるのか、それは状況や署によってまちまちだろう。
しかし、その間、被害者に対して謝りに行っていいのかとかなど、贖罪(物の弁償、金品での償い)
については、警察は「被害者とは裁判まで接触しないように」ということが多いようだ。
家裁によれば、それは被害者の立場にとってみれば早いほうがよく、問題はないと著者は
書いている。そんなところから始まって、まず警察と家裁という二つのシステムの中で
少年や家族、被害者はとまどうのである。

被害者にしてみれば、「どうして何にも言ってこないのだ、謝りにきたっていいだろう」
という気持ちの人も多いだろう。

こうした縦割りのシステムは、家裁の後にも続く。
それは、処分が決まった後の連携である。
保護監察なり、少年院に送られた少年達と、それを決めた家裁はそこで切れてしまう。
もちろん、贖罪の心については、保護監察官にしても少年院にしても指導するのだろうが、
まちまちであるようだ。

ある少年院の卒業式に出た著者は、卒業者の文集を読んで、自分の罪を悔いる気持ちや、
家族を初めとする関係者に迷惑をかけ、少年院の指導教官にお世話になったことは
しっかり書いてあっても、被害者の立場で書かれた部分がほとんどないことを指摘している。

家裁という場所が、警察や決定後の状況と切り離された完璧な縦割りの中にあるとは
思わなかった。
少年をトータルでフォローする立場の人は、井垣氏のように自主的に関わろうとする
縦割りの中の一握りの役人か、心ある弁護士を付けた場合のみ、ということになってしまう。
これでは再犯率を下げようというのも難しいのではないか、と素人の私は感じる。
なぜなら、一度保護監察なり、特に少年院に行った人の世間への風当たりは強いだろう、
と簡単に想像できるからである。

その縦割りに正面から挑んだ井垣裁判官への風当たりもなかなか強いものだったろう。
確かに、他の裁判官は今までのやり方を変えようとするものを異端視するだろうし、
調査官もさらに負担が増える。
しかし、それに応えてくれた関係者が多いほど、やはり少年は「自分のためにここまでやって
くれている」と大切にされていることを知るのだろう。

もちろん、現状でも保護や補導委託先として、少年の立ち直りに体を張っている人々には
頭が下がる。
しかし、著者が何度も訴えるのは、縦割りでない、横の連携のあるネットワークの大切さである。

大人と子供の間に、どれだけの違いがあるかはっきりとはわからない。
しかし、私達も自分の10代の頃のことを考えれば、どんなに幼稚な考え、
あるいは薄っぺらい一面的な考えで動いていたのか、あるいは自分中心の世界に閉じこもる
こともまた可能だったかを欠片でも思い出すだろう。

今、成人式を迎えたからといって、ちゃんとした考えをもつとはいえない人間もいるし、
結局大人になっても幼稚な考えの下に犯罪に手を染めてしまう人間はいる。
現実の世の中を見れば瞭然だ。

しかし大人と違い、家庭や友人、学校の状況をもろに受け、逃げ場の少ない少年にとって、
躓きに手を差し伸べてくれる存在が、できれば「犯罪」を犯す前に現れて欲しい、
と切に願った読後感であった。

ちなみに、この著作は、あの漫画「家栽の人」の原作者、毛利甚八氏のメールマガジン
「月間少年問題」に掲載していたものを中心としているとのことだ。
読みたい方はだれでも登録できるそうなので、「少年問題ネットワーク事務局」
(アドレス等は本に掲載)に連絡を。

今、井垣氏は退官後、弁護士として主に少年事件を扱い、その側面から少年を支えているが、
食道・咽頭癌の後遺症で声帯を取ってしまったため、特別な装置がないと声が出せない状態
だそうだ。それでも、少年のために縦割りの壁を破ろうとしている昭和15年生まれの著者。
そのエネルギーに学ぶところは多い。

<Amazon.co.jp へのリンク>
※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

少年裁判官ノオト

少年裁判官ノオト

  • 作者: 井垣 康弘
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2006/02
  • メディア: 単行本


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コメント 2

近年、多くの若年層による犯罪が続いています。
私が住む長崎は、残念ながら多いのですが。
事件直後は、多くの報道により詳細を知ることができますが
一端過ぎてしまうと、まるで事件がなかったように一切情報は途絶えてしまします。
それは、事件を起こしてしまった少年たちが、世の中に復帰するためには
ある程度しょうがないことだとは思いますが
あまりにも、その後どういう過程で、立ち直っていくのかを知る術が少なすぎると
思っていました。
このような本があることを知ることができて本当によかったです。
ニライカナイさん、いつもありがとうございます。
by (2006-06-15 23:22) 

ニライカナイ店主

ねこばすさんへ>
ナイス&ご来店ありがとうございます。本当に、私達は気になりつつも
結構知らないことが多いのだと思います。それをアピールしない縦割り
の国の決めた制度もさることながら、なかなか知ろうとしない大人たち
にも責任の一端はあるのかもしれません。不幸にして被害者、そして
ある意味で周りの大人の被害者の結果としての加害者少年たちの
「その後」は様々な配慮の名のもとに私達には知らされていません。
しかし、こうした本や新聞記事等できちっとした事実を後追いし、
(どこの誰がとかそういうことではなく)その後を顛末知ることにより、
物事の本質を一面であれ知ることもできるのかもしれません。
それによって、少しでも世の中が変わっていけば、変えていければと
ささやかながら思っています。
by ニライカナイ店主 (2006-06-17 11:18) 

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