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追悼・灰谷健次郎氏 「太陽の子」 [人生や物事について考えたいときに]


「太陽の子」 灰谷健次郎 理論社 1979年

灰谷氏が亡くなったことを昨晩のニュースで知った。
食道がんだったそうだ。
今朝になり、新聞で改めて年齢を見てもうそんな歳におなりだったのか、と思った。
享年72歳。

当ブック・カフェでは、灰谷氏の作品は「風の耳朶(みみたぶ)」をご紹介したことがあった。
http://blog.so-net.ne.jp/bookcafe-niraikanai/2006-01-11-1
この作品を読んだとき、ずいぶんとまるい感じになって、その分深みもさらに増したのだな、
と感じた。

何と比べて、といえば、私が学生時代に今回ご紹介する「太陽の子」を読んだとき、
何か刃物のような鋭さ、厳しさを感じ、読了したものの、何かのみこめないもののように思った。
その一方、「先生けらいになれ」などの作品をみれば、そのまんま子どもたちをうけいれている
灰谷氏の大きな器も決していやではなかったのだ。

大人になり、「風の耳朶」を読んだあと、持っていた「太陽の子(てぃだのふぁ)」をなんとなく
読み返してみたくなった。すると、十代のなかばで読んだときとは全く違うものを
受け取ることができたのだ。

一つはこの物語が神戸に住む沖縄出身者たちの話であったことも大きい。
私が初めて沖縄に足を運んだのはいい大人になってからだった。
いくら沖縄の日本における特殊な歴史を持つ事実を字面で読み、知識として知っていたとしても、
実際に沖縄の土地に足を踏み入れ、あの基地の延々と続くフェンスを見なければ
沖縄の現実も過去も、私は自身のこととして受け止めることができなかったのかもしれない。
さらに自分にも、なにかしらの傷や痛みを共感できるできごとを年齢なりに
経てきたからなのかもしれない。

物語は、「てだのふぁ・おきなわ亭」という、神戸にある琉球料理の店の一人娘、
小学生のふうちゃんを中心に進んでいく。
ふうちゃんのお母さんは首里の出身、お父さんは波照間の出身だが、
神戸生まれのふうちゃんは、お父さんやお店に集まる沖縄出身のひとたち、
そしてお母さんの遠い親戚で沖縄からふうちゃんの両親が神戸に来るときに頼ってきた
「オジやん」と呼ばれている老人に囲まれて暮らしている。
その人たちや、やさしく若い担任の先生、そして同じ沖縄出身のキヨシ少年とともに、
沖縄であった本当のことを少しずつ知りながら、傷つきながら、
日本と沖縄、そして戦争と今も消えない深い傷口に目をそらさずに生きていこうとする。

「てだのふぁ」とは太陽の子、という意味であり、辛い現実を知っても
明るく前向きに生きていこうとするふうちゃんのことなのだ。

しかし、ふうちゃんのお父さんは、沖縄で受けた傷に心を深くえぐられ、
沖縄と遠く離れた地に住むことで徐々に明るさを失っていく。
それだけでなく、だんだん無口になり、ほかの人がおかしいと思うようなことを
言ったりやったりするようになり、そして・・・。

物語に出てくる青年が、「沖縄のことを教えたら、日本の国をようする近道になる」という
意味のことを言う。
青年はちゃんとした言葉では説明できないのだが、今の私ならなんとなくわかるような気もする。

そんな過去をもつ沖縄も、もう戦争を知らない世代が多くを占めるような時代になった。
戦争で受けた傷よりも、日本で最も経済格差があることを問題に、
経済振興を第一にすることを声高にさけぶようになった。

確かに今でも経済的に沖縄には国内での距離的ハンディはあるかもしれない。
しかし、それは都会以外のいくつかの地域も同じことだろう。
それよりも沖縄には日本人が知っておくべき基礎として、沖縄の歩んできた歴史があるように思う。
沖縄には30年あまり前まで一時日本ではなかったという歴史があり、さらにはその前にも
日本でありながら日本の国家から搾取され、差別されてきたという長い歴史がある。
第二次世界大戦の時にどんなことが沖縄で起こったのか、知らない人も多いのだろう。
それらのこと、すべてをひっくるめて、灰谷氏はこの作品を書いていたのだと思う。

この作品が書かれてもう少しで30年がたとうとする今、日本の戦後のゆがんだ「今」の姿を
まるで言い当てているかのような予言とも思えるのである。
そう、表面的な繁栄や体裁の良さだけで判断し、心を見ない、心を軽んじる世の中。
この作品を今読めば、まさに今の私達の生き方に対しての
問いかけ以外の何ものでもないことに気づくだろう。

灰谷氏のことといえば、「島物語」も読んでいる途中だった。
これは沖縄に親戚がいるわけでもないのだが、引っ越していく家族の話である。
灰谷氏も、晩年は沖縄の慶良間諸島にある渡嘉敷島で漁をして暮らしていたという。
神戸に生まれ、作家活動を始めてからはいつも子どもたち、若者たちの声に
耳をかたむけていた一人の作家。

その死を心から哀悼するとともに、作品は決して消え去ることなく、
今までの読者にも、これから読む新しい読者にも、
心に大きななにかを残して生き続けることを祈りたい。

<Amazon.co.jp へのリンク>
※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

太陽の子

太陽の子

  • 作者: 灰谷 健次郎
  • 出版社/メーカー: 理論社
  • 発売日: 1996/02
  • メディア: 単行本


太陽の子

太陽の子

  • 作者: 灰谷 健次郎
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1998/06
  • メディア: 文庫


島物語〈1〉

島物語〈1〉

  • 作者: 灰谷 健次郎
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2000/08
  • メディア: 文庫


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これからの日本を考える新たな視点 「経済成長は、もういらない」 [人生や物事について考えたいときに]


「経済成長は、もういらない」 佐藤典司著 PHP研究所 2006年

最近、景気が良いと「いわれている」こともあって、こういうタイプの本と、
(好景気、現実は・・・という記事が最近ようやく新聞等に載ってきたが)
逆にまだまだ儲かりまっせタイプの本が乱立しているのが本屋のビジネスコーナーである。

この本の著者は、かの大広告会社電通に20年弱勤めた後、
立命館大学の経営学部デザインインスティテュート(いろいろな名前の科があるものだ)
の教授をしている人である。

そんなこともあって、京都近辺に住む立場から、そしてデザインという視点からも
現在の日本の経済状況を解析している。

著者が一時スペインはバルセロナに住んでいたことも大きい。
日本のゆがんだ戦後の変化と、経済がすべての「目的」になってしまった惨劇を
すこし引いた目で見ている。

今、格差社会といわれ、若者に定職に付くよう様々なカリキュラムが国を挙げて課題とされている。しかし、夢のないところに働く意味を見出せ、といわれてもなかなか難しいのかもしれない。

一方、大量に溢れる団塊の世代の退職者が果たしてこれからの永遠の夏休みを
どのように過ごしたいと考えているのか。
これからやってくる少人数の精鋭による「知識社会」からこぼれおちた人は
どう生きていけばいいのか。
収入が少なくても、美しい生活は可能だということ。
何をしたいかという様々な好奇心をもち、何が大切か、という順番さえ間違えなければ。
そういったことを、危機感をもって訴えかけているのが本書である。

日本の街並み、特に都心にぼんぼんと高層ビルやマンションが建ち、
今までの街並みが破壊されていく様、
一方、地方は幹線道路に車で乗りつける大型店舗がならび、
今までの市街地はシャッターどおりになっている。
海外のブロックごとに1階は必ず生活に必要な店舗にする、などの
ルールがあるまちづくりと比較し、老人の生活やまちの活性化をひっくるめて、
様々な課題を日本につきつける。「これでいいのか」と。

このままでは人間のほうが自然より先に消滅するかもしれない・・・
著者のそんな一見過激だが、全否定もできない未来が起こることのないよう、
自らの暮らし、人間として大切なものの順番、身の丈にあった暮らしや街づくりを
考えていくきっかけとして、カンフル剤になる一冊だと思う。

経済書ではあるけれど、大変読みやすく、
今の日本と自分のこれからを考えるヒントがごろごろしている。

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経済成長は、もういらない ゼロ成長でも幸せな国

経済成長は、もういらない ゼロ成長でも幸せな国

  • 作者: 佐藤 典司
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2006/08/26
  • メディア: 単行本


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新たな手法で永遠のテーマを描く 「被爆のマリア」田口ランディ [人生や物事について考えたいときに]


「被爆のマリア」 田口ランディ著 文藝春秋 2006年

この本は、4つの中篇から構成されている。
テーマを貫くものはタイトルが示すとおり、「原爆」だ。

広島の原爆による残り火を結婚式のキャンドルサービスに使えと
父に言われた娘の葛藤を自然なスタイルで描く「永遠の火」。
子どもの頃の放射線治療により周りの子よりも背が低い少年と
広島の語りべの女性との邂逅を描く「時の川」。
ライターである女性が原爆という視点以外からはじめて見た広島の新鮮さに驚く「イワガミ」。
そしてタイトルにもなっている「被爆のマリア」だが、これは長崎で奇跡的に頭部のみ残った
マリア像を心から信じる不器用な生き方しかできない若い女性の話だ。

いずれも、いわゆる原爆問題をテーマの根底に置きながら、今を生きる人々の中で、
それも直接ヒロシマやナガサキの被爆にはかかわりのなかった人々から見た
あの日からのヒロシマ、そしてナガサキをマジックにも近い手法で描いているのである。

この作品集はきっと、今まで「原爆の悲惨さ」とか「唯一の戦争による被爆国」というものが
苦手だった方でも、すっと入っていける作品ばかりである。

もちろん、原爆についてある程度の知識や第二次世界大戦について詳しい方が読んでも、
きっと新しい視点でその思いを整理できるのではないか、とも思う。

私の心が最も強く反応したのは「永遠の火」だった。
戦争のことなど、ましてやヒロシマのことなどよくわからない女性が、
結婚式でキャンドルサービスをすることになるのだが、
その火を「ある人から分けてもらったヒロシマの火を使え」と父から迫られ、話はこじれていく。

私も最初はうーん、これは結婚式というおめでたい門出とヒロシマの残り火というのは
いかがなものか、と感じながら読み進めたのだが、最後には主人公達と同じ気持ちになる。
その変化までの展開は著者の手腕によるものと思う。

いずれの短編も、大変新鮮な視点である。
あるいは、「これは正面から見るもの」と思い込んでいるものを、
少々斜めから眺めてみたら、全く違った風景に変わった、とも言える。
しかし、あくまでも根底にあるものは変わらない。
著者もそのことをわかっていて、あえて今の著者が描ききれる視点から
一つの真実を切り取っている。

この作品によって、受け取ったものを大切に心であたためていきたいと思う。

被爆のマリア

被爆のマリア

  • 作者: 田口 ランディ
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/05
  • メディア: 単行本


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少女のハードボイルドな人生「てるてる あした」加納朋子 [人生や物事について考えたいときに]


「てるてる あした」 加納朋子著 幻冬舎 2005年初版

この作品は結構残酷な状況から始まる。

やや景気が上向いていてきたとはいうもの、
この不況時には決して少なくは無い多重債務による家族離散。

主人公の照代は難関の進学校にみごと合格し、進学するはずだったその春。

なぜか彼女は両親から放り出されるように
見知らぬ土地の「遠い親戚」の老婆のところへ行け、と母に言われる。

そう、これは15歳の少女が夜逃げをしてくるところから始まる。

大変な重い物語の扉を開けてしまったぞ、とはじめは思う。
何しろ、この主人公の境遇に重ね、登場人物たちは強烈な個性派ぞろいだ。

それまでなんとも思わず人生の順調なレールを歩いていた15歳の少女が
ぷっつりと途切れたレールの先を、草ぼうぼうの砂利道を、
一人歩いていけ、と突き放される。

昔、教師をしていたという「遠い親戚」の老婆は何ものなのか、
周りの少し変わった人々と少女はうまく折り合っていけるか。

そう、無力な、何も手持ちの無い状態で生きていけるのか。

人は、逆境に立ったときに自分を知るものなのかもしれない。
少女は老婆にうながされ、アルバイトをしてみたり、近所の子どもを預かったり、
生きるための戦いの日々を始める。
その中で、時に現れる「小さな少女の幽霊」。
それは何を意味するのか?誰なのか?そして何故主人公の前に現れるのか?

老婆が唯一主人公の照代に当てた手紙がある。

「勉強しなさい、本を読みなさい」

その言葉、まるで私自身に言われているようにも思えるのだ。

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てるてるあした

てるてるあした

  • 作者: 加納 朋子
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 単行本


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これからどうする?「日はまた昇る 日本のこれからの15年」ビル・エモット [人生や物事について考えたいときに]


「日はまた昇る 日本のこれからの15年」 ビル・エモット著 吉田利子訳 
2006年初版 草思社

著者のエモット氏は、ロンドン生まれ、英国「エコノミスト」の東京支局長として
1983~6年に在日。93年からは同誌編集長。
以前、ベストセラーになった「日はまた沈む」を90年に書いて、
日本のバブル崩壊を予測した人である。

その人が「また昇る」と書いてくれると心強いような、ほんとかいな、というような・・・
ちょっと斜に構えて読み出した。

「日本は債務とデフレに悩まされた十五年に及ぶ景気低迷から
今度こそほんとうに回復したということだ」と書きながらも、
その中で日本市場の高コスト、労働市場の問題、そして最後には日本と隣国との関係を
見事に整理し、冷静な目で見抜いている。
東アジア政策、靖国問題、歴史認識の問題などにもしっかり意見している。

日本人がちゃんと直面しなければならない問題を提示してくれている。

さて、それをつきつけられた私達はどうするか?

最後まで読んで、そう思う。
日本はこのまま流されていいのだろうか?
そもそも、この流れはどこから誰が押し出しているのか?
それくらいは、せめて自分達で分析しなければならないだろう。

この作品はそれほど長い論説でもなく、小難しい経済書ではない。
誰でもとっかかりのある部分がある読みやすい書き方になっている。

著者が提言している、これからの15年で日本が諸問題を根本的に解決して、
本当の意味で独立し、東アジアの中で諸国から敬意をもって認識してもらえるような国に
なるために、どうすべきか考えたい、と強く思った。

個人でもできること、個人だからこそできること、
個人からはじめなければならないことがそこにあるはずだ。

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日はまた昇る—日本のこれからの15年

日はまた昇る—日本のこれからの15年

  • 作者: ビル・エモット
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2006/01/31
  • メディア: 単行本


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静かに語りかけるように 「その日のまえに」 重松清  [人生や物事について考えたいときに]


「その日のまえに」 重松清著 文藝春秋 2005年初版

やはり、重松氏はこの手のものを書かせるとうまい。

この手のもの、というのは人間の弱いところ、ということに言い替えられるかもしれない。
誰もが本当は目をつぶって通り過ぎたい、やり過ごしたいところを、
しっかりと見据えて正面から書いている。

そう、この一連の短編集のテーマは「死」だ。

「死」というものを、それも急に目の前に現れた「死」に対して、どうしたらいいのか。

今まで線でつながれてきた命が、あるところで途切れようとしている。
ぷつん、と。

そんなとき、人はその納得のいかないできごとに直面して、どうしろというのか。

この作品群は、7つの短編から構成されている。
最後の3編はひとつの物語を語っているのだが、実はこの3編により、
全編を通して最後に一つの織物のように全体のつながりが見えてくる。
命が目に見えない線でつむがれているように、人と人のつながりもまた、
目に見えない線で結ばれていて、それは網目のように一つの世界をつむいでいる。

そんな思いが最後に残る。

大切な人がこの世から居なくなるということ、あるいは自分自身が愛する者たちを残して
消えていかねばならないということは一体どういうことなんだろう。

いくら悲しんでも、苦しんでも、もがいても、納得がいく答えはでない。
人間、仕事でも生活でも恋でも勉強でも、努力や苦労、工夫をすれば
何かが変わる、と信じて生きている。
そういった「人の力」が及ばないのが「死」なのだと思い知らされる。
その傍若無人さ。

しかし、この作品を読んでいると、そのどうしようもない出来事に
なんとか向き合おうとした人々の姿が見えてくる。

すでに乗り越えながら生きている人、乗り越えながらも常に心に闇を抱えている人、
今まさにその闇にもがき、それならば自分の足で「その日」まで歩き始めようとする人、
そして、愛する人と共に「その日」まで自分らしく生きようと静かな戦いをする人。

自分がこの立場だったら、とつい考えてしまう。
しかしそれは、遠い隔絶された世界の出来事ではない。
いつ、どういう形で「死」はやってくるかはわからない。
それでも、何もしらない健康な時の私達は淡々と日々をおくり、無意識のうちに命をつむいでいる。

この本を読むと、その淡々とした日々、刻々と流れる時間の重さをふと感じるようになるはずだ。

そして、ここに登場する人々の姿は、「死」とは対極にある「生きる」ということを
照らし出してくれるとともに、身近な「死」と向き合うということがどういうことなのかを、
静かに私達に語りかけてくれるだろう。

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その日のまえに

その日のまえに

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/08/05
  • メディア: 単行本


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舟に乗っていずこへ 「星々の舟」村山由佳 [人生や物事について考えたいときに]


「星々の舟」 村山由佳著 文春文庫 2006年1月初版

2003年の芥川賞受賞作だそうだ。
読んでみると案外一気に読めた。

この話は6つの短編の連作になっており、実はある複雑な家族の3代に渡る物語になっている。

短編が続くにつれて、家族の複雑なつながりや思いが見えてくる。
それは、それぞれの短編によって主人公=視点を変えることで多面的にその一家の出来事や、
ひととなりが見えてきて、それが最後に一つになる。

最後に、一番年長である「父」の物語が語られ、そこでは戦争の話もあるのだが、
これはちょっとつけ足したような感じがあって、それまでの流れが非常にさらさらと
流れていただけに惜しかったような気もする。
テーマとしては、大変思い内容なだけに、バランスが気になるのだ。

あとがきに、著者の父がシベリアに捕虜として収容されていたことが書かれていて、
それならもっと・・・というのは欲かもしれない。
その思いが強すぎたのか、それをストレートに出すまいとするあまりに、
ややほかの短編とのバランスが崩れたような気がした。

また、その部分については戦争に関わるだけに、中途半端な書き方では
許されないところまでつっこんでいるし、若い読者なら知らなかった、ということもあるから
さりげなく、というわけにも行かなかったのだろう。
ただ、いろいろ訳はあるにしても、力が入りすぎたため、連作の中でそこだけやや浮いてしまった。

もう少しそれとなくでよかった。
それでも十分「父」に残った戦争の影はわかるはずだ。
でも、それでいいのか?とも思う。
これがあってこその芥川賞受賞だったのかもしれないが・・・。

あえて、ここに焦点を絞ってもっとバランスを取り直すか、別の物語として
連作にするかにしたほうが力が入れられたような気もするのだが・・・。

いずれにしても、優れていたのはそれぞれの登場人物の心情表現である。
その人の視点からぶれずに焦点を合わせ、読者を引き込む力が大変強かった。

あとがきで、著者は「人が人として幸せであるために、最低限必要なもの」として、
「自由であること」と答えをだしている。
それは、もちろんシベリアに捕虜とされていた父の話から実感する
戦争の影響も大きいのだろう。

しかし、今生きている私達には、また違う戦いがある。
「自由であること」をつきつめれば「孤独であること」にも耐えなければならない、と
著者もあとがきで書いている。
また、最後の短編でもそれと同じことを象徴的なことばで「父」が語っている。

「父」の罪が引き起こしたある一家の物語。
その罪を罪と考えるかどうかは読者次第である。
もちろん、作品には罪とは書いていない。
ただ、もとをただせばそこに戻らざるを得ない不幸がある。
それを「戦争体験のため」という以外の説明はなく、そこに集約させている。
それでいいのだろうか?

もうひと踏み込みするか、もっと大きく包み込むかすれば、さらによきものになったはずだ。
そう思うのは私だけだろうか。読者のわがままとはわかっているのだが。

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星々の舟

星々の舟

  • 作者: 村山 由佳
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 文庫


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昔と今の自分を比べて 「もう一度読みたかった本」 柳田邦男 [人生や物事について考えたいときに]


「もう一度読みたかった本」 柳田邦男著 2006年3月初版 平凡社

この本は、著者が過去に読んだ25冊の本、あるいは24人の作家について、
再読した感想や若い時に読んだ感触との違いをまとめているものである。

「あすなろ物語」(井上靖)あり、「小僧の神様」(志賀直哉)あり、「チップス先生さようなら」
(ジェイムズ・ヒルトン)、「悲しみよ、こんにちは」(フランソワーズ・サガン)あり。
サガンの章では、こういう作品があったのだから、今の日本の若い女性作家のデビューで
驚くよりも、やはりサガンのほうが新鮮だったのかもしれない、など現在の文学界との比較も
気軽な表現で書かれている。

この中の本では、3分の2は私も読んだことがあり、ピックアップされている作家の
何かしらの本は読んでいた。
まあ、そういう有名どころの作品が主なので、皆さんも手に取りやすいと思う。
さらに、その作家やその周辺にも話が及ぶので、新たな作品につながることもあるだろう。

著者の感想を読んでいると、なんとなく私もその本を再読し、昔読んだ感じと
どう違っているのかを確かめたくなる。
だいたいがいわゆる「名作」とか、これは読むだろう、という作品であるからかもしれない。

中でも、ヘミングウェイの「老人と海」に関しての著者の記述にはうならされる。
「あまりまじり気のない気持ちで本の中野世界に引きこまれ、浸り」きっていた若い頃とくらべ、
「娑婆に出て」何十年かすると経験が自分の中に浮かび上がり、
それが人生後半の読書の特徴になる、というようなことが書かれている。

「老人と海」の一見くりかえしの退屈な老人の心理描写の中に見られる
体力の衰えた自分と、対峙している大物とが、まるで同じもののように思えてくるという表現が
ヘミングウェイ自身の気持ちであったことがよくわかるというのだ。

若い頃、教科書や様々なテキスト、あるいは進められて「これくらいは・・・」といわれ
読んだ本たち。
確かに「名作」といわれているものには、何かしら語るものがあった。
漱石・鴎外が教科書から姿を消そうとしている今、若者達は何を柔らかな心で
受け止めて生きていくのだろう。

そして、私達はその「新たな作家たち」とも出会いながら、
それでもやはり「名作」との再開を楽しみつつ、初読の時気づかなかった事柄、
あるいはこの年齢になったから気づくことごとをどこかに残しておきたいと思うし、
自分の人生の道のりを確かめる道標にもしたい。

そんなことを思わせる一冊であった。

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もう一度読みたかった本

もう一度読みたかった本

  • 作者: 柳田 邦男
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2006/03/18
  • メディア: 単行本


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ハードボイルドな死神登場 「死神の精度」 [人生や物事について考えたいときに]


「死神の精度」 伊坂幸太郎著 2005年6月初版 文藝春秋

伊坂氏の作品を初めて読んだのだが、上手い作家だと思った。
純粋に、考え方、物事の捉え方が面白い、と私は感じた。
タイトルから想像したおどろおどろしいイメージより、ずっと乾いたハードボイルド風の死神。
でも、時にはそれがコミカルにも映る。

この本は、オール讀物等に2003年から掲載されていた6作品をまとめたものであり、
最後の作品はそれの総括的な意味合いがある。

この一冊の中では、しつこいクレーマーに悩まされる苦情係のOLの話、次の雪に閉ざされた
密室的な状況が舞台となる話など、様々な環境の中で
「千葉」という名前を与えられた「死神」が、与えられた使命をどのようにこなしたのかが
淡々と描かれている。

その使命を果たした結果には、一読者として納得することもあれば、
ちょっとターゲットとなる人間に同情する作品もある。
そうして主人公の一端を担う「死神」と、さらにその対象となる普通の人間のやりとりに付き合う
うちに、私達は生きるということってなんだろうとか、幸せってなんだろうとか、ということを
気負うことなく自然体で考えることになる。

読み終わった後、その一連の物語がどういう構造の中にあったかがわかる仕掛けになっている。
その時、きっと読者はいろんな感情がまた違った形でこみ上げてくるだろう。

自分の一生はどうなんだろうとか、いつどうなるのかわからない人生なら、
精一杯生きてみようと思うかもしれない。
あるいは、こせこせ悩んでいても仕方がない、でも後悔の無いように日々を生きようと
思うかもしれない。

この乾いた心を持つ「死神」のことは、あるいは運命、と言い換えられるのかもしれないが、
そのハードボイルドな存在が本当にありえるとしたら、私達はどう付き合っていこうか。

そんなことをふと考えさせる作品である。

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死神の精度

死神の精度

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/06/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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堅苦しくないのでぜひ一読を 「市場には心がない」 [人生や物事について考えたいときに]


「市場には心がない 成長なくして改革をこそ」 都留重人著
 岩波書店 2006年2月初版

しばらく文学作品を続けて読んでいたのだが、久しぶりにこういう本を読みたくなった。
タイトルに惹かれたのである。

「市場」と「心」。そして、成長なし。

いったい、市場というものに心はあるのか。ない、と著者は言っている。

ちなみに、著者は1912年生まれ、経済のプロともいえる人で、日米の関係にも詳しく、
一橋大学学長、朝日新聞論説顧問、明治学院大学教授、一橋大学名誉教授を歴任している。
5年ごとにまとまったご自分の考えをまとめた著作を残すことをライフワークとされていたようだ。
この作品も、その一冊であり、そして最後の一冊となった。

著者はまえがきで、このタイトルをつけたことについて、小泉政権が説くところの
「改革なくして成長なし」ということばの改革の中心である、市場の自由化において言われている
「市場の失敗」や、「人間生活の福祉からの逸脱」、その他の弊害をあわせ、市場化による
マイナス面が語られていないことをこの本で重点的にとりあげ、そのことを「心がない」という
表現で表したのだという。

この本では、小泉政府の批判、というよりも弱点、穴を淡々と項目を挙げて具体的に語っている。
決して、感情的にならず、多方面から事実を述べているだけなのだ。
しかも、小難しい言葉を使わず、普通の表現で、やむなく専門用語を使うときには
説明をつけているところがありがたく、「いろんな立場の人に読んでもらいたい」という気持ちが
伝わってくる。

「改革なくして成長なし」という小泉政権に対する対抗意見として、民営化、
成長の考え方(捉え方、計算方法)、高度情報社会の功罪、少子高齢化の問題などから
具体的に、わかりやすく切り込んでいる。

特に、最後あたりでは、日本の世界における立場についてページをさいているのだが、
アメリカからの独り立ちと、アジアの中でどう日本は生きていくか、
あるいは地球という大きな視点の中でどういう立場をとるべきなのかを問いかけている。

多くの外国人が日本を外から見て不思議に思っていることは多くの方はご存知と思う。
オランダの学者の「日本は優秀な官僚組織を持っているが、国策における重要な調整で
イニシアチブをとる“政府”をもっていないみたいだ」、という言葉は耳がいたい。

また、私達が習ってきた「非核三原則」に密約があり、密かに持ち込まれている状況などに
ついては、アジアの国々にしてみれば、日本国民全体の意識が疑われても仕方がないだろう。
唯一の被爆国でありながら、核を「絶対悪」と会見で述べたところ、「必要悪」と言い直すように
アメリカ側から説得された1960年代当時の外務事務次官の心を推し量ると、
いかばかりの思いだったか、と思う。

そして1968年、佐藤栄作首相はこの密約付の「非核三原則」を理由にノーベル平和賞を
受賞することとなる。

著者が何度も「非核三原則の貫徹」を叫んでいるのには、今も続く沖縄を初めとした
日本各地の米軍基地の状況がある。
そのことは、沖縄に少しでも興味のある方、そして他の米軍基地付近にお住まいの方なら
きっと複雑な気持ちで日々感じているところと思う。

著者はこの問題にも触れ、米ロ冷戦の終結を迎え、今こそ「非核三原則の貫徹」をアピールし、
それこそがアジアにおける日本の新たな役割を担っていくはずだ、と力説している。
それはもちろん、中国を視野に入れての話である。
このままでは、日本はまたもアメリカの力に振り回されてしまうことを
暗に語っているのではないか。

アジア、そして地球の中の日本として、自らの足元をもう一度見直すチャンスなのだと
この著作を読むと感じる。

そして、最後の章で、私と著者の意見が一致したと確信した。
著者は、多くの学者の説(古くはアダム・スミスから)を引用しながら、
経済的成長と人口増は本当に人間にとって幸福なのか、と問いかけている。

人間にとって、本当の豊かさとは、どういうことなのか。

現在のようにがむしゃらになって死ぬ直前又は心身ともに病むまで働いても幸福感が得られず、
その対価としてそれなりの賃金をうけとることなのか。
働くことに喜びを見出せず、モノづくりから遠くはなれ、何のために疲弊しているのかも
わからない状況なのか。
正職員と同じ仕事をしながら、嘱託やパートとして、不安定な立場にありながら、
とにかくは更新が続くことを祈ることなのか。
そして、そんな働く大人たちを見て、定職につこうとしない冷めた目の一部の若者達。

著者は、自分の子どもの頃の生活を書いている。
そう田舎ではない場所で、鶏を飼い、卵をとりに行くのが楽しみだったという。
海岸沿いの景観は美しく、それは都会も変わらなかった。

工業地帯の開発、ゴルフ場開発、就業場所の集中・・。
そして、日本は本当の豊かさを失ったのではないか。
時間、景観、自然、空気、余裕、生き方。
著者は様々な角度から、「成長なくしても日本はいい方向にかわれるのではないか」と
私達に問いかけている。
経済も、人口も、無理な増やし方をしなくても、日本が進むべき道が別にあるのではないか、と。

私も実はずっと無理な少子化対策(全く的をはずれている。今ある国の制度を維持せんと
するために子供を産もうと考える女性など今はいるはずもない)や、
人口がこの小さな島国で増えていくことがいいことなのか、
年齢構成のアンバランスを補ういい方法があるのではないか、などとずっと考えていた。

そして、組織の中でがむしゃらに働いても何も残らず、体を壊すだけだということも知っている。

同じことを考えている人が、それもこんなに豊富な知識と経験を持った方にいた、
ということは大変嬉しかった。

しかし、今政府がやっていることに、文句ばかりつけるわけにはいかない。
そう、その方向性を決めるのは、実は選挙権を持つ私達なのだ。

一部数式が書かれた部分を除けば、そんなに難しくはない。
(政府の成長率の計算=成長会計の公式の部分だけ。これは説明文でフォローできる)
だから、ぜひ多くの人に手にしてもらい、自分の興味のあるところだけでいい、
一章だけでも読んでもらいたいと思う。

著者は、2005年の11月にこの著作の最終章を書き上げ、
そして翌年、この本が出版された2月に亡くなった。

生前、お名前は新聞や雑誌でお見かけしていたが、これからは遡って著作を読ませていただき、
遺された思い、考えを更に知りたいと思う。
ご冥福をお祈りしつつ、こうして本というかたちでこれからもお付き合いできるありがたさを
かみしめている。

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※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

市場には心がない―成長なくて改革をこそ

市場には心がない―成長なくて改革をこそ

  • 作者: 都留 重人
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/02
  • メディア: 単行本


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