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既成概念はもう通用しない今に 「幸福な食卓」瀬尾まいこ [人生や物事について考えたいときに]

「幸福な食卓」 瀬尾まいこ 講談社 2004年

映画はみていないが、ずっと気になっていた本作をそれをきっかけに読んでみた。
このところ瀬尾まいこを続けて読んでいる。
意識的にではなく、偶然もかさなった結果ではあるが。

「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」という
あまりに有名でショッキングな一文で始まるこの作品は、初版当時から話題になった。
家族の崩壊と再生を女子学生の目線から見た物語。
あまりに話題になりすぎて、当時は立ち読みしたにとどまった。

今、落ち着いて読んでみると著者が既成の概念ではもう枠にはまらなくなった
この世界を若者の視線で捉えていることがよくわかる。

「温室デイズ」でもよくこのようにリアルにかけるなあ、と関心していたが、
「幸福な食卓」執筆の時点で、中学校の現役の国語講師であることがわかった。
なるほど、である。
その現場を目の当たりにしていたのだから、その視線はおのずとリアルになるだろう。

しかし、この崩壊と再生については、大人と大人になろうとしている少女、青年、
いろんな立場から描かれていて、いずれも破綻がない。
疲れた大人の姿も、やや理想的にではあるが、「これもありではないか」というように
軽々と新しい道を描き出している。

著者が提示してくれているように、中年になってしまった追い詰められた者が
簡単には新たな生き方や、やりなおしや、再生に向かえるかどうかは
その人間の資質にかかっていると思うので誰でもそうだとはいえないが、
小説には希望が必要だとも思う。

特に、若い世代に読まれる可能性のある作品には、希望が少しでも残されていてほしい。

さらに、著者の後の作品につづくいじめや人間関係、
生きづらい世の中にどう生き延びるかというテーマにつながる蕾が
こめられているともいえる。

やっと過去の話題作であり、今も話題作として残っている本作を読んで、
この作品はきっとこれからも長い間語り継がれていくかもしれない、と思った。

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※読みたいけれど図書館で借りたり本屋で探す時間の無い方はご利用ください。

幸福な食卓

幸福な食卓

  • 作者: 瀬尾 まいこ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/11/20
  • メディア: 単行本


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日々を大切に生きる意味とは?「椿山課長の七日間」浅田次郎 [人生や物事について考えたいときに]

「椿山課長の七日間」 浅田次郎 朝日新聞社 2005年

自分がいつ死ぬか・・・
その多くは誰にもわからないものだ。
誰もが年老いて、いつかは死に直面するのだが、それがも事故や、急病や、
はたまた殺人だったら・・・

何も準備することなく、この世と途切れてしまったら、その時胸にかかえた思いは
いったいどこへいくのだろう?

そんなことを考えたことのある方も多いと思う。
浅田氏もその一人だ。

急に死後の世界に送られ、あまりに急であったため、現世に強い思いを残して
いたとしたら、そのままあの世の果てにいけるだろうか?
浅田氏が出した一つの答えがこの作品だといえる。

主人公はデパートの婦人服飾部の課長である。40代後半の働き盛り。
職場結婚した若くて美しい妻と子どもにめぐまれ、仕事もきびしいながら
やりがいのある日々だ。
そして、そのデパートの売り上げを決める重要なバーゲンセール前夜、
それは起こった・・・そう、主人公は物語早々に急病で亡くなってしまう。

さて、そこからが浅田ワールドへの門が開く。
あの世とこの世。
死者と生き残ったもの。
本音と建前。
その中に残る真実。

コミカルなタッチで物語は進んでいくのだが、はじめはばらばらなパズルのピースが
まるで一つの画を織り成していくように、全体像が結びつく。

最後の締めはさすが浅田氏、と爽快感が残るとともに、
日々を大切に生きることの意味を考える自分がいた。

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椿山課長の七日間

椿山課長の七日間

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2005/09/15
  • メディア: 文庫


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いじめの苦しさを内側から描く 「温室デイズ」 [人生や物事について考えたいときに]


「温室デイズ」 瀬尾まいこ 角川書店 2006年

瀬尾まいこだから、と油断した。
タイトルからもほんわかしたイメージの内容を予想していたが、
痛い思いをした。

そう、これは公立小学校から中学校にわたるいじめと
そんな学校と自分なりに向き合った、あるいは一時避難した
少女や少年たちの話である。
そして、犯罪に近い非行をくりかえす少年。
その少年の心の本当の内側を描いた物語でもある。

「温室」が何を示すのか、最後の最後にわかる。

自分の小・中時代を思い出しても、確かにあの頃にもう一度
戻りたいとは思わない。
それはなぜなのか?
人付き合いが今よりも大変だったような気がするからだ。

今の子ども界はもっとキビシイのかもしれない。
逃げ場であるはずの安全ゾーンがどんどん狭まっている。
子どもによっては一番安全であるはずの場所が最も嫌な場所になっている
場合もあるかもしれない。

かなりリアルである。これは現実に近いのかもしれない。
現実そして「温室」。
もう学校を「温室」とは言わないかもしれない。
それは「外」を知っているものだけが知っているのだけれど。

このところ意図せずしていじめをテーマにした本を続けて読んでいる。
どうか、このブログを読んでくださった方には少しでも周りの子どもたちを
気にしてほしい。手を差し出して、一言かけてほしい。
そして、今いじめに悩んでいる人は大人でも、子どもでも、
絶対に死なないで、と祈りたい。
世界は広い。人もいろんな人がいる。今の人間関係がすべてではない。
逃げてもいい、戦いに敗れて一人ぼっちになる辛さから逃げるために
死を選ぶ必要は全くない。もっとたくさんの逃げ道やドアはある。
目を上げてほしい。
どうか、どうか。

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温室デイズ

温室デイズ

  • 作者: 瀬尾 まいこ
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本


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ショックを覚悟でいじめの現実を知る 「君を守りたい」 [人生や物事について考えたいときに]


「君を守りたい いじめゼロを実現した公立中学校の秘密」 中嶋博行 朝日新聞社 2006年

著者は弁護士であり、サスペンスやドキュメンタリーの作家でもあり、
被害者支援などの活動もしている。
タイトルは、筑西市立下館中学校で実際に活動している「君を守り隊」という
生徒会の活動にも関連している。

こんな活動が生徒の自主性と先生方の熱意に支えられて行われているのは
ほんの一部の学校であり、多くの学校はいじめはない、と隠蔽する傾向にあるのだと考えられる。

本書は現実を冒頭から見せ付ける。
ひどいいじめの例を2例出し、
「これでも教育的配慮で処理できる範囲なのか?これは立派な犯罪ではないか」と
読者に突きつける。
確かにそのとおりだ、といわざるを得ない例だ。

1986年に中学2年生の鹿川くんが「葬式ごっこ」などのいじめの末に
自殺した事件からもうずいぶんがたつ。
しかし、このところの状況は悪化するばかりだ。
おそらく、表面化しているのはほんの一部なのだろう。
今も多くの子ども達が戦っている。

戦いに敗れ、あるいは疲れ、逃げ場を失った子ども達はどこへ助けの手を
差し伸べればいいのだろう?
私達大人は何ができるのだろう?
いや、何をしなければならないのだろう?

著者の書いていることは、過激ではある。いじめはどんなことでも犯罪。
すぐ警察へ。

確かにどんな大人でも躊躇するだろう。
しかし、まず足元を見てみよう。

近くに暗い表情の子どもはいないだろうか?
最近変わってしまった子どもはいないだろうか?
親でなくてもいいのだ。誰かが気づいて途切れそうな細い糸をつなぎとめることは
まだできるかもしれない。

そういう気持ちが大人の世界にも本当は必要なのだから。

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君を守りたい―いじめゼロを実現した公立中学校の秘密

君を守りたい―いじめゼロを実現した公立中学校の秘密

  • 作者: 中嶋 博行
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2006/09
  • メディア: 単行本


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日本経済のトップたちが語る「会社は誰のために」 [人生や物事について考えたいときに]


「会社は誰のために」 丹羽宇一郎・御手洗富士夫著 文藝春秋 2006年

伊藤忠商事の現会長、丹羽宇一郎氏と、2006年3月にキャノンの社長から会長に就任、
日本経団連の会長も勤める御手洗富士夫氏との対談集である。

対談、といっても一言ずつの対談形式ではなく、お互いにあるテーマについて
ある程度自分の考えを述べ、それを次にうけていく、という形になっているので、
短い章だてのようになっている。

そもそも、この二人は仕事の会合やゴルフ場などでは顔をあわせていたが、
それぞれの企業改革、そして今の企業、これからの企業を語りながら、
「サラリーマンよ、元気を出せ」ということをいいたい、として
この企画に取り組んだとのことである。

読んでいくと、この二人の性格の違いが浮き彫りになる。

ややアグレッシブな御手洗氏に比べ、丹羽氏はどこか武士を思わせるところがある。
経歴を見てみると、丹羽氏は安保全学連の闘士としてしられた、とある。

また、それぞれ機会メーカーと商社、という企業の本質自体の違いもある
しかし、お互いにアメリカに駐在して外側から日本を長い間見てきた、という共通点もある。

話は企業内改革、組織論、人材育成、トップのあるべき姿、
そして最後には日本の今後を展望する流れになっている。

二人の間で最も大きな違いは何かといえば、
やはり「どちら側に立っているか」なのではないかと思う。

御手洗氏はキャノングループの会長でありながら、経団連会長もされている。
いわば経済界のトップである。

一方、丹羽氏は伊藤忠の会長職にはあるものの、社長を「任期6年」で退くという公約を守り、
その後会長になってからも代表権を返上している。

ここに、「これからも経営トップとして牛耳る」という姿と、
「既に権力を手放し、少し離れたところから見守る」二人の違いがある。

もちろん、それだけではなく、それぞれの性格もあるのだろうが・・・。

タイトルである「会社は誰のために」というのは、
まさに敵対的TOBが盛んに取りざたされた時期によく言われた言葉であって、
むしろ出版社側が提案したタイトルなのかもしれない。

内容は会社という枠の中でどう生きるか、企業が成長していくためにはどうするべきか、
会社のトップはどうあるべきか、ということがメインである。

しかし、実際は組織の中で生き生きと過ごせる人は一体どれだけいるのだろう。

そのわだかまりを一蹴するにはややトーンが弱い。
会社のトップが皆こういう人たちであれば、
そしてそれがちゃんと社員一人ひとりに伝わっていくしくみがあれば、
何かが変わるのかもしれない。

現実においてその難しさは組織で働く誰もが一番よく知っていることなのだ、
と改めて思わされた一冊であった。

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会社は誰のために

会社は誰のために

  • 作者: 御手洗 冨士夫, 丹羽 宇一郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本


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苛めの本質を描く「きみの友だち」重松清 [人生や物事について考えたいときに]


「きみのともだち」 重松清 新潮社 2005年

重松氏の子どもを見る目は案外クールだ。

それは、同じ目線に今も立つことができるからだと思う。
もちろん、取材も十分しているのだろうが、
子どもなら・・という予定調和はどこにもみられない。

予定調和がない、といえばあさのあつこ氏の「バッテリー」でも
あさの氏がそれを排した、と書いていたのを思い出す。

重松氏のこの作品も、それに近いものがある。

この作品には、小学生から中学生まで、何人かの少年、少女たちが主人公として
「きみ」、と語り手から呼ばれることになる。
これは、最初から誰かその書き手とはある程度距離のある
他者から見た「きみ」たちの話なのである。

話の内容は、いじめであったり、小・中学生のクラス内やクラブでの人間関係だ。
どんな話も私も児童・学生の時代にもあったことばかりだ。
しかし、それを掘り下げて、個々の子どもの心理を描く力はさすがだといえる。

今、「いじめ問題」がマスコミや国、教育の場で話題にされているが、
こういったことは昔からあったのである。

だからそれをそのままにしてよい、ということではない。
誰もいやな思いでは忘れたいから、
あえてその事実をあからさまにしてこなかっただけなのだ。

あからさまな、あるいは先生や大人たちにわからないように行われている
仲間はずれや陰口、いじめは
いろいろなやり方でターゲットを常に探しながら行われている。

言葉は、言った者にとってはその場で消えてしまうなんでもない一言でも、
言われた側には大きな傷を与え、その心は傷口から血がしたたるような思いで
日々をしのぐことになる。

そのターゲットは必ずしも固定してるわけではない。
だから絶対に気を許すことはできない。
今の子どもたちのストレスは勉強や受験だけではないのだ。

私がこの作品の中でキーワードになると感じたのは
「みんな」という言葉である。

ある少女の物語の中で、「みんなぼっち」という言葉が出てくる。
自分は「みんな」の中に今いられているのか?常に気にしている。
でも、あるとき気が付くのだ。
「みんなぼっち」は「ひとりぼっち」よりもさびしいと。

「だって、友だちじゃん」という言葉。

友だち、ってなんだろう、と私も中学生時代よく考えた。
どこまでの付き合いが友だちなのか。
どこにいくのも一緒なのが友だちなのか。
お互いを理解しあっていることが友だちなのか。

それなら、どこまで他人を理解できるのか。

思えば、私もいやな中学生だったのかもしれない。
それよりもエゴ丸出しだった小学生時代も
人間関係は今よりも難しかったような気さえするのだ。
それは、逃げ場がないから。

クラスという固定した枠の中で、自分がどの位置にいるかによって、
その居心地は天と地の差がある。
そんなことをこの作品を読んで思い出した。

何章かから成るこの作品も、最後の一章はおまけのような感じもぬぐえないのだが、
大人になってしまえば今の苦しみもこんな風になんでもないことのように乗り越えて
微笑み合うことができるんだよ、ということを
読者の子どもたちに語りかけているのかもしれない。

逆に、少年・少女たちには、周りにいる親を含めた大人たちもかつて
子ども時代に同じように人間関係で悩み、仲間はずれにされ、
あるいは孤立しても自己を守り続けていたのだ、と受け止め、
周りの大人にそれを尋ね、聞いて欲しいと思う。
それが救いの脱出口を示してくれることもあるだろう。

そうしなければ、最後にこの作品の構成のたねあかしをする章は
本来完成しないのかもしれない、と考えるのである。

しかし、実際には大人になっても決していじめが現実としてなくなることがないことは
大人たちはみんな知っている。
だからこそ、それを乗り越える力を子どもたちに伝え、大人として示していきたいと思う。
しかし、弱って立ち向かえない時にはうまくかわし、やり過ごす術を、
さらに、どうしようもなければ自分を守るために逃げ出したっていいじゃないか、と
個人的には感じるのである。

自分の命と心が一番大切なのだから。

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きみの友だち

きみの友だち

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/10/20
  • メディア: 単行本


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政治を現場で見た記者の目 「総理大臣の器」 三反園訓 [人生や物事について考えたいときに]


「総理大臣の器」 三反園訓著 講談社+α新書 2006年

表紙に渋い茶碗がひとつ。
本阿弥光悦作「黒楽茶碗」である。

テレビ朝日のニュースで著者の三反園氏を始めて意識して見たのは、
おそらく久米氏がやっていたニュースステーション時代に国会記者クラブに詰めていた頃だと思う。何か政治に動きがあると、この三反園氏が現れるのである。

何の事件のときだったか(あるいは政局のときだったか)、
久米さんが「三反園さん、しばらく家に帰ってないんじゃないですか?」と投げかけたのに対し、
「はい、もうずいぶん帰ってません」と答えながら、その表情は精気にみなぎっていた。
ネクタイはよれよれで、昨日見たものと同じものであったけれど。

その三反園氏もテレ朝のニュースコメンテーターとなり、
今は現場よりもスタジオにいる姿をみることの方が多い。

しかし、この人は現場で様々なものを見、いえないことも聞き、
1980年代から今までに至るまで政治の表も裏もジャーナリストとして生きてきたのであろう。

その一つの区切りとしてまとめられたのがこの作品である。

この作品は、現在の安倍首相が決まる直前にかかれたものではあるが、
もうこれで決まりだろうということを前提に書かれている。

小泉政権と将来想定される(当時は)安倍政権において、
それぞれの総理としての品格と器について語られている。

また、その対抗馬の筆頭として、小沢氏についても今までの歩み、展開、
そして今が描かれている。

更に、中曽根元総理および重松清氏、丸山弁護士との対談による
現在におけるあるべき総理の品格と器についてもなかなかおもしろい。
この三人を選んだというところがまた絶妙なのである。
まったく異なる角度からの切り口で、現在の、また、過去の首相の力量について語られている。

特に、中曽根氏との対談はなかなか貴重な内容であり、総理大臣に必要な要素を語っている。
4つほど具体的に上げているがそれは本書で目にしていただくとして、三反園氏が対談から
聞きだした中曽根氏の意見として、政治家には「凄みと渋み」が必要だという。
その渋みは自らが養わねば決して手に入らないものである。

さらに、戦後日本における個性派首相―吉田茂氏、佐藤栄作氏、田中角栄氏についても
分析し、論じている。

三反園氏の持論は、「誠実・慈愛・正義と勇気・耐えること・思いやりの心をもった人に
総理大臣になってほしい」というヒーロー論である。

一見、そんなばかな、と思うかもしれない。
しかし、文中にもあるように総理大臣は、日本にただ一人なのだ。
その重責と期待に耐えられる存在はヒーロー以外の何ものでもない。
そんな本当のヒーローを生み出すのは、実は国民一人ひとりなのかもしれない、とふと思う。
なぜなら、国民が政治に対する興味と信頼を持ってこそ、自然と愛国心は育つのであり、
正しい舵取りができるヒーローがいてこそ、日本が本当に世界から尊敬される国になりえると
考えるからだ。

さて、表紙の渋い器は時を経て、何か魂を宿しているようにも見える。
一筋縄ではいかない。それもまた、政治なのか。
人の器とはなんなのか。
ちなみに、その器の名前は「雨雲」である。

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総理大臣の器

総理大臣の器

  • 作者: 三反園 訓
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/08/23
  • メディア: 新書


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脳の概念が変わるかも 「脳の中の人生」 茂木健一郎 [人生や物事について考えたいときに]


「脳の中の人生」 茂木健一郎 2005年 中公新書ラクレ(中央公論新社)

最近、よくTVの司会やコメンテーターとしてもなじみのある著者である。
脳、ということについての研究者とは知っていたが、切り口がおもしろいので
経歴などを見てみると、理学系でしかも、物理学畑の方だった。

東大の理学部を卒業後、法学部も卒業し、
さらに同大学院で物理を専攻したというからおもしろい。
今は脳、クオリア(質感)に関する著書が多いようだ。

脳科学、認知科学というのは、医学なのかとおもいきや、物理的な側面もあるのだ。
脳は、生き物の一部であるとともに、科学物質的なものでもある・・・確かにそうかもしれない。

養老先生の話がおもしろく思えるのも、解剖学という医療とは違った側面から脳を
見ているからかもしれない。(ちなみにこの著書の中にも養老先生はあるテーマで登場する)

まえがきにあるように、この本では常に心と脳の関係に触れられる。
著者いわく、「『臨床脳科学』があってもよいのではないか」というように、
脳を鍛えたり、活性化させるという今日の流行に対し、
その以前に「人生も大切だ」という前提で様々な観点から語られたものがまとめられている。

「読売ウィークリー」に連載されたものを主にまとめたものであるが、
その中でも私は二つのテーマに感慨を覚えた。

一つは、「『当たり前の判断』が人生をつくる」という章。
ここでは、無意識のうちに私達が日々行っている判断に対し、大きな判断をつきつけられると、
脳はどんな反応をするか、ということが語られる。
結果は本を読んでのお楽しみなのだが、私にとっては意外であった。
いかに悩みたたずむということが、あるときは無意味なのかを思い知らされた。
それよりも、日々の積み重ねが大切であり、
それこそが自分を作り上げていることに気づかされたのである。

もう一つは、なにもしないヴァカンスの大切さである。
あちこち見て回る忙しい詰め込み方の休みの活用法よりも、
脳にとっては何もしないでぼーっとしていることがどのように大切なのか、
再確認させられた気がする。

いずれにしろ、小さな興味あるテーマごとに区切られていて、読みやすい。
決して小難しくは無い。
そして、時々発見やそうだったのか!と思わされることがある。
そんな一冊であった。

最近頭の回転が遅くなってきたかな?とか物忘れが多くなってきた方々も
読んでみると「そうか!」と思うことが書いてあるかも?・・・しれない。

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脳の中の人生

脳の中の人生

  • 作者: 茂木 健一郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 新書


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やはりすごかった!「クライマーズ・ハイ」横山秀夫 [人生や物事について考えたいときに]


「クライマーズ・ハイ」 横山秀夫 文春文庫 2006年

2003年に文芸春秋から単行本化されたものである。
読後感は、「すごい」、この一言である。

すごい、という話は最初に発行されたときから聞いていたが、いままで読む機会がなかった。
しかし、今でよかったような気がする。
読み時、というものにはまった。

ご存知のとおり、この作品は85年の日航機墜落事件を題材に、
墜落地の地方紙の記者の生きざまを描いている。

当時の地方紙新聞社の混乱と興奮、仕事への執念、意地、落胆、社上層部の権力争い・・・。
そして、時間は主人公の一記者を中心に、現在へ、過去へと行き来する。

山を登るとき、その苦しさがピークを通りすぎた時、ふっと感じる快感にも近い「楽」な状況、
苦しさからの解放・・・そういうものをクライマーズ・ハイというのだとすれば、
仕事も、日々の生活の中にある苦しい出来事も、すべてあるところまで
夢中になって取り組んでいるうちに、そういう一瞬がおとずれるのではないか。

問題は、その一瞬に浸るのではなく、そこからどう「現実」に戻るかなのかもしれない。

それが、「下りるために登る」という、主人公の亡くなった友人が残した言葉に
象徴されるのかもしれない。

登ろうとすることは誰にでもできる。

そして、難しい場所までたどり着き、晴れ晴れと頂上に立つことは
ある程度力のある人ならできるのかもしれない。

しかし、いかに下りるか。
その下り様に実は人の本当の生き様が現れるのではないか、と思わされる。
下り方は引き際とも、身の処し方、あるいはその人そのものとも言えるかもしれない。

新聞社の熱っぽい雰囲気は、著者が上毛新聞記者であった経験から生々しく伝わってくるし、
新聞社内の抗争もリアルである。

その中で、駆け引きや友情、信頼と裏切り、落胆、そして筋を通すということ。
これらのことは、一新聞社のことでありながら、未曾有の出来事を相手に、
どう対処していくのか、という点でどんな会社にでも起こりうることである。

リアルさと人と人との関係。
それを浮き彫りにするような描き方の秀逸さ、言葉選びの的確さは
本当に優れた作品であることを示しているのだろう。

一読すればわかる。
こういう作品にはなかなか出会えない。
その一冊に久々に出会った気持ちよさが残った作品である。

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クライマーズ・ハイ

クライマーズ・ハイ

  • 作者: 横山 秀夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/06
  • メディア: 文庫


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結末までの過程を楽しむ 森絵都 「カラフル」 [人生や物事について考えたいときに]


「カラフル」 森絵都 理論社 1998年

森氏の作品を何か読みたいと思っていたら、
友人の中学生の娘さんが「カラフル」がいいんじゃない?と薦めてくれた。

なにかの罪を犯して死んだはずの「ぼく」は、いいかげんな天使の
「抽選にあたりました!」の声で自殺したある少年の体に入り込み、
そこであることを達成すればまた輪廻のサイクルに戻ることができると告げられる。

そのためには、自分がなんの罪を犯したのか、その罪の大きさに気が付けばいいのだという。
それまでは、その少年の体を借り、少年の家庭や環境に「ホームステイ」することになる。

やけにやさしい父、何かにおびえたような母、内心何を考えているかわからない兄、
そして学校にいけば微妙な立場にいるその少年。

入れ物としてその少年の姿を借りながら、「ぼく」は自分らしさを徐々にさらけ出しながら
日々を乗り越えていくのだが、その果てに見えてきた真実とは・・・。

児童文学の続き、いわゆるヤングアダルト文学に属するともいえるこの作品は、
天使が下界におりるにあたって「ぼく」にいきなり箇条書きでレクチャーするのだが、
そのあっけらかんとしたわかりやすい設定が、かえって「カラフル」ワールドに
読者を結果的に引き込むことになる。
なぜなら、その箇条書きが「カラフル」ワールドそのもののルールでもあるからだ。

そして、「ぼく」が他人であるはずの少年の体に入り込む、という異物感によって、
読者はまるで「ぼく」と同質化したような感覚で読み進むことができる。
それは、とてもうまい構成だと思う。
やがて、「ぼく」が最後に自分の罪に気が付くときに、結局、読者がこうあってほしい、
という願いと固く結びつくまでに物語にのめり込んでいくのである。

実は、ちょっとカンのある人が読めば、初めから最終的にどんな結末になるかは
わかるのではないかと思う。特に、ある程度の年齢以上の方には。
わかっていても、その過程がどうなるのか、それがなかなかおもしろかった。

また、結末のゆくえが全く想像付かなければ、
もちろんさらにはらはらしながら読み進むことになる。

いずれにしても、今を生きる中学生、そしてそれを取り巻く家庭、学校のなど
広く考えれば社会の環境がいかに少数派の人間、言い換えれば個性というものを
つぶそうとしているかを読者は思い知らされる。

父は父として、母は母としての役割においつめられ、
個人としての個性や思い、生き方は許されない。
また、学校という集団でうごめく組織は、異質なもの、少数になるものをはじきとばすために
常に多数決をしているようなアメーバーのようなとらえどころの無い場所かもしれない。

そういう場所で、自分の居場所を確保することのいかにむずかしいことか。
それは実は学生時代だけの話ではないのだけれど、特に学校という場所、
そして家庭に属さねば生きていけない中学生という存在のいたたまれなさを痛いほど感じる。

しかし、やはり人は生きてなんぼ、の存在なのかもしれない。
どんなにきつくても、どんなに孤独でも。
読者はそれぞれの立場と年齢で、そんな思いをこの作品で何かの形で感じるに違いない。

誰でも何かしらやり直したい、という気持ちが心の底にあって、
それをどうリセットすればいいのか悩んでいるのかもしれない。でも、人は実は
自分の気持ちの持ちようでいかようにも自分をリセットしてやり直すことができるのだ。

作中で、少年の父が「ぼく」に、
「いいことがいつまでもつづかないように、悪いことだってそうそうつづくもんじゃない」
という場面がある。

子どもにとっても、子どもと大人の間の人にとっても、もちろん、実は一番大人にとって
このセリフは案外心の支えになるのかな、と思うのだ。
大人になるまえの人たちは「そんなものなのかな」と思い、
既に長く大人をしている人たちは自分の人生を振り返り、少し顔を上げてこれからのことを
少し思いながら。

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カラフル

カラフル

  • 作者: 森 絵都
  • 出版社/メーカー: 理論社
  • 発売日: 1998/07
  • メディア: 単行本


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